ヴァンドーム広場place Vendôme

1734年でのパリにあるヴァンドーム広場
1734年でのテュルゴの地図Plan de Turgotによるパリにあるヴァンドーム広場place Vendôme

17世紀でのヴァンドーム広場

リヴォリ通り(rue de Rivoli)が1801年に開かれる前に、ヴァンドーム広場は今とはとても違う顔でした。

広場は、まず、正方形で建設されました。
しかし、この形が固すぎると見なされたため、1700年に、正面の一部が壊され、そして、1701年からすぐ、現在の八角形で再建されました。

1734年に作られたテュルゴーの地図(plan de Turgot)を細かく見ようとすると:

1734年で、カスティグリオーヌ通り側の、パリにあるヴァンドーム広場
図 1:カスティグリオーヌ通りrue de Castiglioneの切り開き前、サントノーレ通りrue Saint-Honoréからの出入り(1734年)

広場への出入りは:

1734年で、ラ・ペ通り側の、パリにあるヴァンドーム広場
図 2:ペ通りrue de la Paixの切り開き前、カプシーヌ通りrue des Capucinesからの出入り(1734年)

ですから、広場は、19世紀とは違って、通過するものではありませんでした。

オペラ(Opéra)側では、現在ペ通り(rue de la Paix)の位置に、カプシーヌ修道院(couvent des Capucines)図 3)がありました。

2番目のカプシーヌ修道院、パリにあるヴァンドーム広場、1705年
図 3:ペ通りrue de la Paixの切り開き前、二番目のカプシーヌ修道院couvent des Capucines(1705年)

そこの教会に、ポンパドゥール夫人(Madame de Pompadour)と、その妹とお母さまも、葬られることになりました。

広場の真向こう、テュイルリー(Tuileries)側では、もう一つの大門がそれに答えていました。
それは、別の大門、フイヤン修道院(couvent des Feuillants)大門(図 4)でした。

フイヤン修道院、、パリにあるヴァンドーム広場、1754年
図 4:カスティグリオーヌ通りrue de Castiglioneの切り開き前、フイヤン修道院couvent des Feuillantsの大門(1754年)

広場の真ん中に、『ルイ大王(Louis le Grand)』といわれる ルイ14世(Louis XIV)の銅騎馬像が、1699年からすでに立っています(図 5)。

大王ルイ銅像、パリにあるヴァンドーム広場、1699年
図 5:広場の真ん中、ルイ大王Louis le Grand銅像(1699年)

フランソワ・ジラルドン(François GIRARDON)作の印象的な作品です。台座を含むと高さは、17㍍に達成していました。

フランス革命が破壊させたが、王のでか足の一つは鋳造に生き残ることが出来て、パリ市立歴史博物館であるカルナヴァレ博物館(Musée Carnavalet)に展示されています。


フランソワ(François)()ジラルドン(GIRARDON)の作品について、さらに詳しい情報は、ルーブル美術館(Musée du Louvre)の作品ページーまで。

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