ジョルジョ・ヴァザーリにおいてのモナ・リザ
下記のモナ・リザの描写はジョルジョ・ヴァザーリによって書かれ、最初にに、後にに改増され、フィレンツェで出版された。
これらの文書は最もよく知られ、最も古く、最も信頼に値するものである。それで、その後の描写のほとんどに影響を与えた。
ヴァザーリは自分自身が見たことのない絵画を描写している。なぜなら、絵画が当時フォンテーヌブローにあって、ヴァザーリがそこまで足を運んだことは一回もなかった。
描写は、その作品の評判について教えてくれる。ごろにフィレンツェで施されて、レオナルド・ダ・ヴィンチはそこで没頭して、「リザ婦人」という、イタリア語で「マドナ・リザ」、省略すると、モナ・リザの指名で、フランチェスコ・デル・ジョコンドの妻を表している。
この描写は何よりもヴァザーリにとっての価値を理解することも可能にしているのです。
版の画家・彫刻家・建築家列伝の文書においてのモナ・リザ
レオナルドは、フランテスコ・デル・ジョコンドのために、妻モナ・リザの肖像画を請け負った。そして、悩んだ末に未完成のままにしてしまったのです。
この作品は現在、フォンテーヌブローにあって、フランス国のフランソワ王が所有しています。
この頭には、芸術がいかに簡単に自然を模倣することができるかを知りたい人は誰でも簡単に理解することができます。なぜならば、そこには精妙に描き得るもっとも細かい部分のすべてが贋作され尽くされていたからです。
眼には、生きているものにいつも見られる水や艶があったからです。
その周りには、青みがかった薔薇色のまつ毛があり、これらは最高の精妙なしにはできません。
眉毛は、肉から生えてくる毛が太かったり、まばらだったりする様子や、皮膚の毛穴に合わせてカーブしていたりする様子を作ったからです。これらはすべて、これ以上ないほど自然なものでした。
鼻は美しい開口部で、ピンク色で柔らかく、まるで生きているかのようだった。
口は色ではなくしかも真に肉のように見える顔の化身のところに唇の赤で結びついた限界のある裂け目だった。
咽喉のくぼみのところを注意深く観察する人は、血管が脈打つのを認めることができよう。
このようなやり方で描かれた絵は、最も力ある芸術家を、それが誰であっても、恐れおののかせるものであるということができる。
彼はまたつぎのような工夫もした。モナ・リザがきわめて美しかったので、彼女を陽気な気持ちに保とうとして、肖像画を描いているあいだ、音楽を奏し歌を唄う者を、また絶えず道化師をそばに呼んでおいたのである。 肖像画においてしばしば見られる、あの憂鬱な印象を取り除くためである。
レオナルドのこの作品に見られる微笑みは、あまりにも魅惑的なので、それを見ると人間のものというよりも神のものという印象を受け、そして生命さながらに驚嘆すべきものと思われたのである。
版の画家・彫刻家・建築家列伝の文書においてのモナ・リザ
その後、彼は、フランテスコ・デル・ジョコンドのために、その妻モナ・リザの肖像画の制作を引き受けた。努力した末に未完成のまま残した。
この作品は現在、フランス国王フランソワのもと、フォンテーヌブローにある。
芸術による自然の模倣がどのようなことであるのかを知ろうとした者は、その顔の前に立てば、それが苦もなくわかった。絵画の精妙さが可能にしてくれるあらゆる細部が、そこに描かれていたからである。
眼は、生きているものに絶えず見られるような、輝きと潤いをもっている。
その周囲は、赤味がかった鉛色の微妙な色合いをつけられ、まつ毛もまた、きわめて繊細な感覚なしには描きえないものである。
眉毛は、肌からの毛の生え具合いが濃かったり薄かったり、また毛穴によっていろいろな方向を向いている様が、きちんと描かれているので、これ以上真に迫っていることはあり得ない。
ばら色で柔らかな、美しい鼻孔をもったその鼻は、まるで生きているようであった。
口はその開き具合や、唇が赤く彩られているところ、顔の血色などからして、色を塗られたのではなく、本当に肉そのもののように見えた。
胸のくぼみには、注意深く見たと誰にでも脈が打っているのが見え、この作品は、本当にどんな勇敢な芸術家でも恐れおののくような方法で描かれたと言える。
また、彼は、モナ・リザが非常に美しかったため、肖像画を描くときに絵画が与えがちな憂鬱さを追い払うために、彼女を描いている間、彼女を陽気にさせるために、彼女に演奏や歌を聴かせたり、絶えず道化師に頼ったりと、このような策略を用いた。
レオナルドの微笑みには、心地よさがあったため、それを見るのは人間というよりも神々しいほどであって、それで驚異として捉えていた、それは人生はそれ以外の形で現れて来ないものだから。