ガリア戦記での
カエサルによるレミ族
ユリウス・カエサルが自ら書いたとされている「ガリア戦記」は現在フランスの過去に関して文字で書かれた史料として一番古いの中に数えられている。
この素晴らしい作品について、いろいろいうべきことがあろうが、ここでは作品全体としてではなく、現代のランス市の名の元になっているレミ族が現れる第ニ巻の前半の部分にだけ関心を寄せています。
以下の文書の引用がそれに限りますが、それでも文書の流れがよりよく分かるように、ちょっと前のと後の部分をも載せようとしました。
前の部分の第一と第ニ章では、ローマ軍のガリアでの進出に当っての状態が表れています。
第三章では、レミ族の長たちがカエサルに使節を派遣し、他のガリア人部族と違って、抵抗ではなく自らローマと協力するのを選択します。
それからの第四章、軍事行動の描写に移って、エーヌ川の戦いの展開がローマ軍の視点で語られます。
固有名詞や位置関係を分かりやすくするために地図をも載せています。
レミ族がローマ軍の勝利によっていろいろローマ政権によくして貰うことになるのでした。ランス市がローマ帝国政権区分の第ニベルギカ州の首都となりました。
ガリア戦記、第ニ巻
第一章:ベルギー全土が混乱
第一章
- 内ガリアにいたカエサルのもとにも何度となく噂は届いていラビエヌスが手紙でこのようなことを知らせてきた。 ガリアの第三の地域にあたると前述したべルガエ人たちがこぞってローマ人に対する反乱を企て、人質をやりとりしている。
- 反乱を企てている理由はこうである。まず、ガリア全域が平和になったので次は自分たちのもとに準備してくるもではないかと思ったため。
- 次に、一部のガリア人のそそのかされたため、一部の者はゲルマニ人がこれ以上ガリアに来るのは望ましくないと思っていたのと同じ理屈で、ローマ軍がガリアで冬営して古顔になっていくのも不愉快だと思っていたし、気まぐれや浅はかな思いから新しい支配者を求めていた者もいたのである。
- また、ガリアでは他人より力のある者、人を集める力のある者が一般に権力を握ってきたが、ローマ人に支配されてはそういうわけにはいかなくなるぞ、とそそのかす者もなくはなかった。
カエサルの措置
第ニ章
- そのような噂や手紙に心動かされたカエサルは、ガリア・キテリオルで新たにニ個軍団を徴集すると、戦争ができる季節になるや、そのニ個軍団をガリア・ウルテリオルへ移動させるためにクィントゥス・ペディウス副司令を派遣した。
- 自分も糧秣の手配をするとすぐに軍のもとに行き、
- セノネス族などべルガエ人の近くにいるガリア人に指示して、ベルガエ人のもとで起こってい ることを調べて報告させた。
- 全員が同じように、人手がかき集められ、軍が一所に集結していると報告してきたので、かくなるうえは晴踏せずべルガエ人のもとに行くべきだと思い、兵糧の準備を整えると陣地を移動して、ほどでべルガエ人の領土に到着した。
レミ族は自分をローマの味方と宣言する
第三章
- カエサルが意表をついて誰も予想していなかったほど早く来たので、レミ族というべルガエ人の中でもっともガリアに近い部族が、カエサルに使節としてイッキウスとアンデコンボギウスという部族の第一人者を寄越して、こう言ってきた。
- 自分たちの身柄や財産はすべてローマ人の肥護に委ねる。 自分たちはほかのべルガエ人と結託したことはないし、ローマ人に対する反乱を企てたこともない。
- 人質を差し出す用意はあるし、命令に従い、街への受け入れや兵糧などの援助もしよう。
- ほかのべルガエ人は全員武装している。
- レヌス河のこちら側に住んでいるゲルマニ人とも共謀しているのだが、全員頭に血が上っているため、スエシオネス族という自分たちの兄弟親戚にあたる(同じ掟、同じ法を使い、同じ支配者同じ領袖を共有する間柄の)部族を思いとどまらせて結託しないようにすることすらできなかった。
敵軍の列挙
第四章
- レミ族にどの部族がどの程度武器を取れるのか、また戦争になったときの力はどうか訊ねたところ、このようなことがわかった。 多くのべルガエ人はゲルマニ人を先祖に持つ。 はるか昔にレヌス川を渡り、土地の豊かさゆえに現在の場所に定住すると、そこに住んでいたガリア人を追い払ったのだが、
- 父祖の記憶にあるようにガリア全土が戦乱に巻き込まれたとき、テウトニ族とキンブリ族の侵入を防げたのはこの者たちのみだったため、
- そのときの記憶をもとに自分たちは非常に偉いと思い込み、軍事に多大な自信を持つようになってしまった。
- また、べルガエ人の数についてはすべて調査済みであると言って、このような話もしてくれた。 自分たちは、近所のことでもあるし婚姻によるつながりもあるので、べルガエ人の合同会議で誰がどれほどの人数をこの戦争に出すと約束したか知っている。
- そのうち、武勇や権威、人数の点で最強の部族はべロウァキ族である。 彼らは武装した者を第100 000人章集めることができるのだが、選り抜きの六万人を約束するかわりに、戦争全体の指揮権を要求している。
- スエシオネス族という自分たちの隣人は最大の領土と、もっとも肥沃な畑を持っている。
- その王は、ローマ人の記憶ではディウィキアクスという、ガリア全体でもっとも権勢があり、この地域の大部分のみならずブリタンニアの支配権をも持っていた男だったが、現王はガルバである。 所有する街の数は12で、武装した者5 000人を約束している。
- 同数を約束しているネルウィイ族はベルガエ人の間でももっとも野蛮とみなされている。 またもっとも遠くにいる部族でもある。
- アトレバテス族は15 000人、アンビアニ族は10 000人、モリニ族は25 000人、メナピイ族は9000人、カレティ族は10 000人、ウェリオカッセス族とウィロマンドゥイ族もこれと同数。 アドゥアトゥキ族は19 000人。
- コンドルシ族、エブロネス族、カエロシ族、パエマ二族といったひとくくりにゲルマニ人と呼ばれる者たちが40 000人ほどと考えられている。
ディウィキアクスはべロウァキ族を攻撃する。カエサルはエーヌ川を渡る
第五章
- カエサルはレミ族を勇気づけ、寛大な言葉をかけると、長老を全員呼びつけ有力者の子供を人質として差し出すよう命じた(これは万事抜かりなく期日までに行われた)。
- また、自らハエドウイー族のディウィキアクスをしっかり激励しながら、こう言った。 ローマのみならず全員の安全のために重要なのは敵の軍隊を分散させることである。 これほどの大軍と一度に衝突することがないようにしなければならない。
- そのため、ハエドゥイー族には軍をべッロウアキー族の領土に進めて彼らの畑を掠奪してもらいたい。 そのような指示を与えてディウイキアクスを送り出すと、べルガエ人の全軍が一ヶ所に集まって向かってくるのを見つけた。
- 送り出しておいた斥候やレミ族からもすでにべルガエ人はさほど遠くないところまで来ているという報告があったので、急いで軍にアクソナ河というレミ族の領土の外れにある
- 河を渡らせると、そこに陣地を築いて陣の片側を河岸で固め、背後にあるものを敵の手から守り、レミ族などからの物資が安全に運び込まれるようにした。
- この河には橋がかかっていたが、そこにも守備隊を置き、対岸にはクィントゥス・ティトゥリウス・サビーヌス副司令率いる六個大隊を残しておいた。 また陣地は高さ一二フィートの土塁と一八フィートの壕で囲むようじた。
ビブラクスの包囲を解かさせる
第六章
- この陣地からレミ族のビブラクスという街までは八マイルの距離だったのだが、べルガエ人は道すがらその街に猛攻撃をかけ始めた(かろうじてその日は持ちこたえた)。
- ガリア人もべルガエ人も街の攻め方は同じで、大勢の者で防壁をぐるりと取り囲むと石を投げ始め、防壁から守備隊を一掃すると亀甲陣を作って門を乗り越え、あるいは壁の下を掘り進むのだが、
- 今回あっけなく守りを崩されたのはあまりにも多くの者が石や飛び道具を投げてきたので、防壁の上に留まっていられる者がいなかったためである。
- 夜が来て攻撃が終わると、レミ族でもっとも家柄がよく声望もある人物で、当時のビブラクス総督であり、カエサルのもとに講和の使節として来た者の一人でもあるイッキウスがカエサルに使者を寄越した。 援軍を送ってもらえなければもう持ちこたえられそうにないとのことだったので、
第七章
エーヌ川の戦い
第八章
- カエサルは当初敵も多いし並々ならぬ武勇の噂も聞いていたので戦闘を差し控えることにしたのだが、
- それでも毎日騎兵戦をして、敵の武勇がどれほどのものか、またローマ軍がどこまでできるか試しているうちに、ローマ軍も劣っているわけではないことがわかった。
- 陣地の前の地形が布陣するのに適していたので(陣地を築いた丘はまわりの平地から少々高くなっていたのだが、正面には布陣した軍を収容できるほどの幅があったし、両側は急な坂になっていたものの、正面の傾斜はゆるやかでなだらかに平野へと降っていたのである)、丘の両側からそれぞれ直角に400複歩ほどの壕を掘ると、
- その壕の終端には砦を作って射出機を設置し、布陣したとき、数の多さを頼りに側面から襲いかかる敵に包囲されてしまうことのないようにした。
- それを済ますと、最近徴集した二個軍団を陣地に残して必要なときには援軍に出せるようにし、残りの六個軍団を陣地の前に配置した。 敵も同様に軍を陣地から出して隊形を整えた。
第九章
- 両軍の間には大きくはないが沼があった。 敵はここをローマ軍が渡ってくるものと思って待ちかまえていたし、ローマ軍も敵が渡り始めて身動きがとれなくなったところで襲いかかろうと武器を構えて準備していたのだが、それを尻目とも沼を渡ろうとはしなかったし、
- 騎兵戦はローマ軍が優勢だったのでカエサルが軍を陣地に引き上げると、
- 敵はすぐにそこから前述の通りローマ軍の陣地の裏手にあるアクソナ川の方へと急ぎ
- 浅瀬を見つけると軍の一部を渡らせようとした。 これは、できればクィントゥス・ティトゥリウス副司令が指揮する砦を襲って橋を壊し、
- それが無理ならレミ族の畑を荒らし、物資を遮断したかったためだが、
第十章
- カエサルはティトゥリウスから報告を受けると、すべての騎兵、ヌミダの軽装兵、投石兵、弓兵に橋を渡らせて敵のもとへ急いだ。
- 激戦になったが、ローマ軍は河で身動きのとれなくなっていた敵を攻撃して多数を殺し、
- 大胆きわまりないことにその屍を乗り越えて渡ろうとする者たちは多数の飛び道具で撃退した。 また、先に渡り終えていた者は騎兵で取り囲んで殺した。
- 敵は街を攻撃する望みも河を渡る望みも潰えたのを知り、ローマ軍が不利な場所に出てきて戦うこともしないとわかった。 自分たちの兵糧も不足してきたので、会議を開いてこのような結論を出した。 それぞれの故郷に戻るのがいちばんである。 万一ローマ軍が侵入してきたらすぐにそこを守るべく各地から集まることにしよう。 よその土地で戦うより自分の土地で戦う方が兵糧についても自分たちの蓄えを使えてよいだろう
- そのような結論に至ったのは、ディウィキアクスが率いるハエドゥイ族がべロウァキ族の領土に向かっていると知り、もっと粘ろう、仲間を助けに行くのはよそうというわけにはいかなくなったからでもある。
第十一章
- そう決まると、敵は第二夜警時に騒々しい物音を立てながら大慌てで陣地を出ていった。 ろくに統制もとれておらず、誰もが我先にと故郷に向かったのでまるで夜逃げのようだったし、
- その様子はカエサルも斥候を通じてすぐに知ったのだが、伏兵の恐れもあったので(なぜ退却するのかはまだわかっていなかったのである)、軍も騎兵も陣地に留めておいた。
- 夜が明けて、斥候を通じて事情を確認すると、敵のしんがりを足止めするべく騎兵の全軍を先発させ(これはッィットッス・ペディウス、ルーキウス・アウルシクレイウス・コッタ両副司令 に任せた)、ティトッス・ラビェーヌス副司令にも三個軍団を連れて後を追うよう命じた。
- この者たちは敵のしんがりに襲いかかると、何マイルも追撃して、逃げ出した敵を大勢殺した。狙われた敵軍のしんがりは立ち止まってローマ軍の攻撃に勇敢に立ち向かったのだが、
- 先行していたおかげでまだ大丈夫だと思い込み、必要に迫られたり命令を受けることもなく統制がとれていなかった者たちは、喊声が聞こえてくると列を乱し、逃げて身を守ろうとしたので、
- ローマ軍は何の危険を感じることもなく日の出ている間に大勢の敵を殺せたのである(彼らは日没になると追撃をやめて、命じられていた通りに陣地に戻ってきた)。
スエシオネス族、ベロヴァキ族、アンビアニ族が服従して、カエサルがネルウィイ族の地へと渡る
第十二章
- 翌日、カェサルは敵が恐怖心や敗走の痛手から立ち直る前にレミ族の隣人であるスェシオネス族の領土に軍を移動し、強行軍でノウィオドゥヌムという街に向かった。
- 行軍を終えると守備隊がいないと聞いていたのであるから、街を攻略しようとしたのだが、壕が広く防壁も高かったため、守備隊が少なかったにもかかわらず街を落とせなかったので、
- 陣地を築くと、作業小屋を移動させながら攻城戦に使うものの準備を始めた。
- そうこうしているうちに逃げ出していたスエシオネス族が全員その夜のうちに街に戻ってきていたのだが、
- あっという間に作業小屋が街へと押し寄せ、攻城用の土手をかけられ、檜が組まれるという工事の大がかりさ(ガリア人には見たことも聞いたこともないほどの工事だったのである)とローマ人の手早さに動転して、カエサルのもとに降伏の使節を送ってきた(この者たちはレミ族の仲介があったので存続を許された)。