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11月

2017

プシケ物語

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以下の文書は、現在のアルジェリア北東のアラブ語では、「メダウルッシュ(مداوروش)」、古代のラテン語では、「マダウロス(Madauros)」出身のアプレイウス(Apuleius)が著わした、正式に『変容(Metamorphoseon)十一冊の本(libri XI)』、略して、『変容(Metamorphoses)』が、主人公ルキウス(Lucius)驢馬(ろば)に変えられるため、親しんで、一般的に『黄金のろば(Asinus aureus)』と呼称されてきた作品の一部であります。
紀元後160年から180年の間に書かれたと思われています。
全体的な解釈は、複数の階層が重なるため、専門家たちにさえ、とても難しく見えていましたが、今日まで、読者たちや芸術家たちなどを、神秘宗教や魔術の要素のためか、魅惑させ続けてきました。
その中、特に『愛の神(クピードー)心霊の神(プシケ)の物語』と知られている以下の文書は一番有名だと断言できます。
一般に「プシケの物語」と呼ばれていて、『黄金のろば』においては、第4巻28章から第6巻の24章までであって、筋としては、あるおばあさんが盗賊たちに誘拐された処女の気を紛らせるために語ろうとして、作品全体の筋に挿入されている物語の形を取っています。
物語が終わると、アプレイウスが皮肉的に主人公ルキウスに「こんなに結構な物語を記し留めておく紙と筆とが手許にないのを、ひとえに残念がるばかりでした」と言わせていることで(第6巻25章1)、著者が実際に、当時ローマ帝政ヌミディア(Numidia)にあったアマーズィーグ(ⴰⵎⴰⵣⵉⵖ)の口頭の物語に基づいていたことを意味している可能性を示しています。
以下の文書は、1956年に岩波文庫で出版された(くれ)茂一(しげいち)日本語訳をもとに、1975年にフランス語でフォリオ(Folio)で出版されたピエル(Pierre)()グリマル(GRIMAL)訳を対象に検討されたものです。
出来るだけ日本語での間違いがないように努力しているつもりですが、それでも残っていれば、お手数ですが、このリンクで、改善のため、訂正の提供を宜しくお願いします。
 では、お楽しみください!


28 むかし或る国に王様とお妃とがおいでになって、あいだに三(かた)容姿(すがた)もなみなみならず勝れた姫をお持ちでした。 そのうち年長の姫たちは、(かお)(だち)はまことにめでたくはおいでながら、ともかく人の世の賞め言葉でもしかるべくお(たた)えすることができようと思われましたが、末のお姫さまのとりわけて立ち優った美しさといったら、貧弱な人間界の語彙(ことば)などでは到底言い表わすことも、ましてや十分賞めそやすなど思いもよらない有様でした。 そんなわけで国の内外から尋常(よのつね)ならぬ姫の()容色(きりょう)の噂を伝えて、多勢の人々がひたすらに群がり寄って参りましたが、皆々たぐえようもないお顔ばせのめでたさに胆を奪われて魂も中有(ちゅうう)に飛び、終いには右手を(くちびる)に当て、人差指を立てた親指に圧しつけたまま、まるでヴェヌスさま御自身でもあるかのように、うやうやしく(おが)め敬うのでした。

幾程もなく国つづき一帯の土地にずっと拡まった噂では、あの紺青の海のそこひに生れ、泡沫(みなわ)立つ波の(しずく)に養われてお育ちになった女神様が、今こそ諸方の国々へとうといお慈みをお垂れになる心ばせから、衆生の間に立ち交わっておいでになるそうだとか、あるいはきっとまた天上の(しずく)の新しい萌芽(めざし)から、今度は海ではなくて大地が、もう(ひと)(かた)の乙女の華に装われた(新しい)ヴェヌスさまをお産みしたのに違いない、などというのでした。

29 こういう風で日一日と際限もなくその話が広まり、近在の島々から(おか)一面、はては世界中の大抵の国々へまでこの評判が行き(わた)りますと、沢山の人達が長い旅路をかさね遠い海をわたりなどして、一代の()えの()(もの)をと流れ込んでまいります。 今では誰一人としてパフォス(Πάφος)クニドス(Κνίδος)や、キュテラア(Τα Κύθηρα)の島へさえ(本当の)ヴェヌスさまを拝みに舟を寄せるものはありません。 ()(もつ)はとだえ社は(こわ)れ、神様の御座所も汚れて祭儀もろくろく執り行われず、御像に懸けた花環もなくて侘しい祭壇は冷たい灰にまみれたままです。

人達が願いをかけるといえば、みなそのお姫さまへかける、そして人間のお姿を拝んでおいてこの広大な女神様の御神慮を(なだ)めまつろうというわけで、若い姫君が払暁(あけがた)におでましになるときなどには、いろいろな(にえ)(しろ)や山海の供物をおそなえして、そこにはおいでにもならぬヴェヌスさまの御名を呼んではお(いつくし)みを乞い、はては町筋を姫がお通りになるというと、人々はいつものように花環を献げたり、散華を撤いたりして(らい)(きょう)するという始末なのでした。

しかしこのように天上の尊栄を(みだ)りに移して、不当にも死ぬはずの人間の乙女(おとめ)(おるが)むことに()えてしまった始終は、本当のヴェヌスの(しん)()をはげしく(あお)り立てずにはおきません。 (いき)(どおり)に耐えかねて頭をうち振りうち振り、ひどく猛り立ちながら女神はこう自問自答なさるのでした。

30 「まあ見るがいい、宇宙万物のそもそもの産みの親だという私が、四大五元(あらゆるもの)の初め起原(おこり)がさ、まあ、全世界の慈みの母のヴェヌスとしたことが、人間のむすめなどと一緒にされて尊い位を(わけ)あい、天上に()てられたこの(みょう)(ごう)、下界の(ちり)(あくた)で汚されるなんて。 きっとこれからは神前への献げ物も、一緒に分けあい、信心さえも身代りで好い加減にすまされてしまうのに違いない、そればかりか死ぬはずの(人間の)少女(おとめ)が私の似姿をふれて廻ることなのだろう。 そうなったらあの羊飼の少年が、この私の世に類ない麗容(あですがた)を、他の二柱の女神たちよりずっと上に置いてくれたのもなんにもなりはしない、ユッピテルさまだって、あの子の判断(みわけ)は正当で確かなものだと言って下さったのにさ。

でもまあ、どんな女にもせよ、いつまでも好い気でもって私の栄誉を横奪りはさせとかないからね、見るがいいさ、いまにかえって自分の道に外れた容色(かおかたち)を後悔するようにしてやるから。」

そこでヴェヌスは早速と自分の息子(愛の神(クピードー))を呼び寄せました。 あの翼の生えた、随分と無考えな子供、いつも(たち)が悪くて公けのおきて定めも(ないがし)ろにし、()(えん)(火炎)だの矢だのに身を固めては、他人の家屋敷を夜よなか駈ずり廻り、ひとの夫婦仲を滅茶滅茶にしたりして、罪も受けずに酷い悪行を働き、よい事はこれっぱかりもしないという子供です。 この生れついた()(ずい)()(まま)で始末にもおえない子を、ヴェヌスはまだそれでも足らずに口先きで(けしか)げたあげく、例の都へ連れて行ってプシケ——例の少女(おとめ)はこう呼ばれていましたので——を眼に指し示し、前の容色(きりよう)争いの一部始終をすっかりと話して聞かせたうえ、腹立ちのあまり(たん)(そく)をついたり(たけ)り立ったりして言うことには、

31 「どうかお前、(おや)と子の切れない(えにし)にかけて、お前の弓矢の快い痛手に、その(ほのお)(みち)のように甘い()(けど)にかけて、頼むからお母さんの(あだ)を取っておくれ、十分にだよ、そして容色(きりょう)を鼻にかけてるのをうんとどやしてやっておくれな。 それとね、このこと、何をおいてもこれだけは忘れずにやって貰いたいのは、あの小娘が世界で一番卑しい人間と、この上もなくはげしい恋におちいるようにね、で、その男というのは地位も財産も一身の安全さえも運の神様に見放されて、世界中を探してもこれほどにみじめな者はあるまいというくらいな(ひどい)人にしておくれ。」

こういうとヴェヌスは息子に、長いあいだ(しっ)かりと接吻(くちづけ)をしてやりまして、程もなく潮の巻きかえす近くの浜辺に赴き、薔薇色の(おみ)(あし)でたゆとう波の頂きを踏みながら進んでいらっしゃると、見る見る深い海原が(底から)頂上まで澄みわたって(しず)まり返ります、そして女神が御胸にまだお思いになるかならぬに、もうすぐとまるで前からのお指図みたいに、海の(けん)(ぞく)どもがわれ後れじと、御用を勤めにやって来るのでした。 ネーレウス(Νηρεύς)の娘らの(うた)(まい)の群も来れば、青い髪のざらざらしたボルトゥーヌス(古いローマの港の神)も、お腹に一ぱい重く魚を入れたサラーキア(Salacia)も、海豚(いるか)に跨がっているちっぽけなパライモーン(Παλαίμων)も出て参ります。

観れば(たちま)ちにあちらこちらから海中を跳んで、トリトーン(Τρίτων)の群もやって来ます、嚠喨(おともたか)()()(がい)()びやかに吹き立てるのもあれば、絹の暈をさしかけて燃えるような太陽の意地悪い光をお()けするのや、鏡をもって女神様の()(つむり)さきに差し出すものや、他のはまた二人組で御輦の下を泳いでまいります。 こうした群勢を引きつれてしずしずとヴェヌスは大海原へ進んでいらっしゃいました。

32 一方プシケは人並み勝れた容姿(きりょう)を持ちながら、まるで何一つ自分の美しさの徳を()けてはいませんでした。 万人に等しく仰ぎ()られ、万人から賞め讃えられはしても、国王にも王子にもそれどころか庶民の間にさえ、誰一人として姫の婿にと望んで来る者がありません。 さて女神様のように気高いその姿に感じ入りはしても、みな巧妙に()り刻まれた御像でも賞めあうような工合で、もうとっくに二人の姉の方は、程々の容色(きりょう)で国人の誰彼が別に()め伝えるというわけでもないのに、近国の王様と(えん)(ぐみ)して、幸福な結婚を楽しんでいるのに引き替え、プシケ姫はまだ良人もなく、ひとり家に籠っては捨小舟の(わび)しさをかこち、身も安からず心も傷み、あらゆる人から讃めたたえられる自分の容色を、自身はひそかに呪っている有様でした。

こんな次第で()(しあわせ)な姫の父王も大変お困りになり、もしや天上の神々のお憎しみからか、または神怒の所為(せい)でもと畏れ気遣い、ミレトス(Μίλητος)においでの神様の大昔から伝わた御(たく)(せん)を伺うことにし、()(とう)をしたり供物を捧げたりして、大神さまにこの求め手もない少女(おとめ)に縁組と良人とを授けて下さいますよう、お願い致しました。 すると、アポローンはギリシアのしかもイオニアの神様ですけれど、このミレトス物語の作者のために、ラテンの言葉でこう御託宣なさいました。

33 高い山の(いただき)に、主よ、その少女(おとめ)を置け、死に行く嫁入りの、継いに飾らせて、また婿として人間の(たね)から出た者をでなく、荒く(たけ)しく(まむし)のように怪物を待ち設けるがいい。翼をもって虚空を高く()(ぎよう)しあるき、万物を責め、(ほのお)をもってすべてのものを痛め弱らす怪物、その者をユッピテルさえも()れ、神々も彼には恐れをなし、諸川も、三途(ステュクス)の河の(くら)(やみ)さえも怖気をふるう怪物なのだ。

前には仕合せだった王様も、この聖なるお告げを頂くと、足も重く暗い心で御殿に立ち戻り、奥様にこの情けない御神託のお指図をうちあけました。 何日となく皆して歎き悲しみ、涙をこぼしたりして悼みつづけるうちにも、酷いお告げのはたされる日は容赦なく迫って参ります。 そしてとうとう哀れな少女を(とむら)いのお嫁入りに(よおそ)い立たせるという時が来ました。 その松明(たいまつ)の輝きも黒い(すす)の燃えくずで(おぼろ)にかすみ、婚礼の祝い笛の音もいつしか物悲しいリュディア(Λυδία)風のかごとに変ってゆきます、陽気な嫁入(うた)もついには(いん)(うつ)(あい)(とう)の叫びごえと()ってしまって、お嫁入りするはずの少女が、なんということでしょう、(婚礼の)()(いろ)面帕(かおぎね)でそっと涙を拭いてるという始末です。

こうした不仕合せな王家の悲しい御運に、町中の人々ももろとも(なげ)きをお頒けし、皆々の(あい)(つう)から、やがてその日は誰彼となく仕事を休んで、喪に()くという布令をいたしました。

34 しかし神様の()(いいつけ)には従うよりありませんので、可哀そうにプシケは定められた()(おき)をよんどころなく受けることになって、お(とむら)いじみた婚礼の儀式を一同の(はげ)しい悲しみの中にも残りなく執り行ったうえ、町中の人を後ろに引き(したが)えて生きながらの葬式が宮殿から繰り出され、こうやってプシケは涙ながらに嫁入りではなくて、自分の法事に連れてゆかれたのでございます。 さて悲歎にくれた両親があまりの()(びん)さに心もくじけて、この酷たらしい(しょ)(ぎょう)をやり(とお)すのをためらってますと、かえって娘の方がこういって両親を励ますのでした。

「なぜお二人ともお年を召して不運なおからだを、長いこと泣き悲しんでお傷めになるのですの、どうしてあなた様方のお心を、それもまあ私のものともいえますのに、ひっきりなしに歎きつづけてお責め立てになりますの、どうして甲斐もない涙でもって、大切な尊いお顔をお汚しなさいますの、なぜお眼をいためつけて、(これを見る)私の眼をお苦しめになるのです、どうしてまた白いお(きじ)()きむしったり、お胸を、尊い乳房をお撃ちなさいますの。

これがこの私の人並み勝れた容色(きりょう)の立派な御褒美として、あなた様方のお受けになったものでございました。 やっと今になっておわかりになりましたのね、私たちは道に外れたはげしい妬みのために、死ぬほどな痛手を負されていることが。 私を神様のように諸国の人々が敬い尊んだ時にこそ、ロを合せて私を新しいヴェヌスだと称えた折にこそ、お二人は悲しむなり泣くなり、私をもう他界した者のように悼んで下さったはずでございました。 でも今こそ私もはっきりと解って参りました、自分がヴェヌスなどと呼ばれたばっかりに、この身を滅ぼすことになりましたのが。 ではさあ、私を連れて行って、あの神籤(おみくじ)にあった(いわお)の上に据えてくださいませ。 早速にも私はその仕合せな御婚礼の式を済ませて、私の立派な良人にも会いとうございますから。 何もそれを引っぱっておくことも、やって来る者を拒むこともございませんもの、その全世界を滅ぼすために生れたというひとを。」

35 こう言いきると少女はロを(つぐ)んで、足どりも(たし)かに、ついてゆく人々の行列の中へとはいり込みました。 そして(けわ)しい山上の定めの(いわお)に著きますと、その天頂(てっぺん)に姫を置いて一同は退散し、道を照らして来た婚礼の炬火(たいまつ)も、涙のために(けや)されたままそこへ打ちすて、首を項垂(うなだ)れて帰り路を辿ってゆくのでした。 一方姫の(ふた)(おや)は言いようもない()(しあわせ)に気も(くじ)けては、家を閉ざして暗闇の中に引き籠り、絶間のない悲敷に身を(まか)せていました。

さてプシケは畏れおののき、(いわお)の頂きに泣き伏しておりますところを、和やかに吹く 西の優しい(そよ)(かぜ)(ゼフィルス)が、そこからここからと衣をゆすぶっては動かし、(ふとこ)ろを膨らませてはだんだんと乙女を持ち上げ、穏やかな風の息吹きにのせて高い(いわお)の下道をゆるゆると運んで行って、とうとう麓の谷の花盛りな草原の真中へ、そっと下ろして横たわらせました。

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注釈

ヌミディア(Numidia)は現在のアルジェリア北東部周辺に当たる。 戻る ↑

愛の女神であるヴェヌスのこと。戻る ↑

パフォス(Πάφος)は、キュプロス島にあり、現在、キプロス共和国南西海岸の都市に当ります。
クニドス(Κνίδος)は、アナトリア半島にあった古代ギリシアの都市に位置付けられています。
いずれもヴェヌスに縁の深い聖地パフォスはキュプロス島にあり。戻る ↑

羊飼いの少年は、トロイア(Τρωάς)の王子パリス(Πάρις)のこと、所謂(いわゆる)イダ(Ἴδη)上の林檎(リンゴ)の審判である。
ユーノー、ミネルヴァ、ヴェヌスの三女神が(擬人化した女神)「争い」の贈った黄金の林檎(リンゴ)を賞として美を争い、パリスの判定にまかせた物語。戻る ↑

ここでは、プシケと呼ばれている姫。
ギリシャ神話では、古代ギリシャ語で、「Psykhé(Ψυχή)」(発音:プシューケー)があって、心魂、精神、心霊の義をしめしています。
同時に、古代ギリシャ語では、同じ言葉が、幼虫から翼の付いた変態のある生き物なのか、「蝶」の意味をも示しているため、女神として、蝶の羽でよく現わされていることになりました。戻る ↑

サラーキアは古ローマの湖の女神で、ネプトゥーヌスの姫ともいわれる。戻る ↑

ラテンの言葉でラテン語でギリシャのアポロンのラテン語の神託の例は一つもありませんので、著者の皮肉だと思われます。戻る ↑

黒い(すす)ローマでは、結婚式では、お嫁の前の松明の明るさがめでたいことでした。松明が明るくなければ、あるいは、煙を出してしまえば、その結婚が不幸になると見なされていました。戻る ↑

()(いろ)面帕(かおぎね)。ローマの結婚式典礼に基づき、お嫁が「フラメウム(flammeum)」という()(いろ)面帕(かおぎね)で自分の涙を拭いています。

ミレトス(Μίλητος)においでの神様はミレトス市の郊外ディディマ(Didyma)にあるアポロンの有名な社があったため、太陽の神の意が示されている。戻る ↑

パライモーン(Παλαίμων)ギリシャ伝説にある童形の海の神。戻る ↑