黄金伝説における大天使ミカエル

キリスト教の中世ヨーロッパにおいて、黄金伝説(レゲンダ・アウレア)は、聖書についで一広く読まれた書物である。
北イタリアのドメニコ会修道士、年代記編集者、又は第8代大司教のジェノヴァとして知られているヤコブス(Jacobus)()(de)()ウォラギネ(Voragine)によって、ラテン語で1261年から1266年の間に書かれた。
この作品んを基本的でも紹介するのはとても単純なことではありませんが、ものをいうには、既存だった約150人の聖人たちあるいは聖人集団や殉教者たちの列伝史料を編纂しながら、前から存在していた異教の暦の中に一年のカトリック教会の典礼暦を組み込んで巧妙に同化させながら、それを切っ掛けにして福音書からキリストと聖母マリアの生拝の主な出来事を解釈しながらも、事実深く当時社会の様々分野まで、例えば()(そう)()()(がく)などを含めて、浸透したキリスト教的な神話を作り上げたと書いておけば、間違いありません。
ヨーロッパ中世文学研究者フィリップ(Philippe)()ヴァルテール(WALTER)著の『中世の祝祭 - 伝説・神話・起源』の序章で、「キリスト教定着以前に存在した[...]野生の記憶に由来する[...]「迷信」、伝説といった(たい)()の記憶」が述べているように、異教の旧暦の要素が浮かんでくる文書として、特に興味深く、魅力的だと思われます。
以下では、もちろん極小さいな部分である、139章だけをしか巡礼所としてのモン(Mont)()サン(Saint)(-)ミシェル(Michel) の元にあると作品の中で言われているから紹介しません。
大天使ミカエルと雄ウシ、まだまだいろいろが登場します...驚くほどに語りが大天使から止まることなく少しづつ密かに天使たちの信仰の語りに展開します。
計り知れない存在と感覚ある実在とをいろいろ考えさせられるのであろうから、信じるか信じないか別にして、自分で出来れば最後まで、当時の独特な強い主教色を怖がらずに、読むことをお勧めします。


139章 大天使聖ミカエル

ミカ工ルとは、〈だれが神に比べられようか〉という意味である。聖グレゴリウスは、こう書いている。「大きな奇跡が起こるときには、いつもミカエルが派遣される。 その(わざ)とその名前から、このような偉大な奇跡は神以外のだれもなしえないということが明らかになるためである」多くの偉大な奇跡が聖ミカエルのはたらきだとされるのは、このためである。 というのは、ダニエルが書いているように、ミカエルは、「憎むべき破壊者」があらわれるときに立ちあがり、選ばれた民を守ってくれるからである。 たとえば、彼は、竜とその手下どと戦い、彼らを天国から突き落とし、大勝利をおさめたし(『黙示』12・7~9)、悪魔がモーセの遺体(まつ)って、ユダヤ人たちにこれを神として拝ませようとしたときも、遺体をめぐって悪魔と争った。聖人たちのたましいを受けとり、喜びの楽園(ぱらいそ)にみちびいていくのも、ミカエルである。 彼は、もとユダヤ教会堂の守護者であったが、主は、キリスト教会の守護者とされた。 エジプト人に天罰をくだし、紅海をふたつに分け、イスラエルの民をみちびいて荒野をわたり、約束の地(カナアン)につれていったのも、ミカエルであったと言われる(『出エジプト記』)。彼はまた、聖なる天の軍勢のなかではキリストの旗手をつとめる。 彼は、主の命令によってオリヴ山上で反キリストにを力をもって倒すであろう。死者たちは、彼の声によって復活すると言われている。 最後の審判の日に聖十字架と(せい)(てい)(せい)(そう)といばらの冠をもってくるのも、彼であるとされている。

大天使聖ミカエルの祝日は、彼の出現と勝利と聖別と記憶の日とよばれている。

出現

ガルガヌスと雄牛の出現

聖ミカルの出現は、いろいろある。最初の出現は、ガルガーノ山上であった。 ガルガーノはアプリア地方の山で、シポントウムという町の近くにある。主の紀元390年ごろ、この町にガルガヌス(Garganus)という名の男が住んでいた。 山の名は、この男の名前にちなんでつけられた。 しかし、男の名前がこの山の名からとられたとしている本もある。 ガルガヌスは、数えきれないほど多くの牛や羊を飼っていた。 あるとき、彼の牛や羊が山腹で草を()んでいると、一頭の雄牛が群れからはなれて、山頂に登っていった。ほかの牛や羊が山から下ってきたときも、この雄牛だけもどっていないことがわかった。 そこで男は、大勢の牧童といっしょに雄牛をもとめて道なき道を登っていき、ついに山頂の、とある洞穴の入口でこの牛を見つけた。 男は、群れからはなれて勝手な行動をしたことに腹をたてて、雄牛めがけて毒矢を放った。 ところが、矢は、風になぶられかのように向きを変えて、()()のほうに舞いもどってきた。 町の人びとは、これを知ってたいへんおどろき、この大きな奇跡はなにを意味しているのでしょうか、と司教にたずねた。 司教は、3日間の(さい)(じき)(断食)を指示し、これにはどういう意味があるのか主にお伺いすることにしましょう、と答えた。 そのとおりにしていると、聖ミカエルが司教にあらわれ、こう告げた。 「あの場が自分の矢に射られたのは、わたしの意志によることです。 かく言うわたしは、大天使ミカェルであって、地上のこの場所が気に入って、ここに住み、この地を守ることにしました。 よって、あの奇跡でもって、自分がこの土地の守護者であり番人であることを知らせようとしたのです」そこで、司教と町の住民たちは、ただちに行列をくんで、奇跡の起こった場所に行き、洞穴のまえでうやうやしくお祈りをささげた。 しかし、洞穴のなかに入ることははばかった。

トウンバ岩山での出現

二度目の出現は、主の紀元710年ごろのことであったと言われている。 アプリカの町から六マイルほどはなれた海辺のトウンバというところで、聖ミカェルがこの町の司教にあらわれ、この地に教会を建て、ガルガーノの山でおこなわれているように、わたしを記念する場所としなさい、と命じた。 司教がどこに教会を建てたものかと思案していると、泥棒どもが隠した雄牛の見つかる場所に建てなさいというお告げがあった。 また、司教がどれほどの広さの教会にしたものかと迷っていると、雄牛の足跡が地面に残っているだけの広さにしなさいというお告げがあった。 ところが、この場所には、人力では動かせないほどの大きな岩がふたっあった。 すると、聖ミカエルがある男にあらわれ、くだんの場所に行って岩を動かしなさいと命じた。 そこで、男は、出かけていって、ふたつの岩をかるがると持ちあげた。 こうして教会ができあがると、聖ミカェルがガルガーノの教会の祭壇に掛けておいた前帳の一部と、聖ミカェルがそのうえに立っていた大理石の一部がはこばれてきた。 ところで、この土地には水がなかった。 そこで、人びとは、これまた聖ミカエルの命令で固い岩に穴を穿(うが)った。 すると、水が(こん)(こん)と湧きだしてきた。 今日。ここからゆたかな水が流れでている。 聖ミカエルの慈悲のあらわれである。 この出現、10月16日に祝われる。

おなじ町で、もうひとつ記憶にあたいするような奇跡が起こったと言われる。 この山は、周囲を海にかこまれているが、聖ミカエルの日には、二度海の潮が引いて、自由に渡れるようになる。 昔のことだから、実際そういうことがあったのであろう。 あるとき、大勢の人びとがこの教会に(もう)でた。なかにひとり出産まちかの婦人がまじっていた。 ところが、いったん引いたかに見えた()(ろう)が、突然またものすごい勢いでもどってきた。人びとはみな、怖れおののいて岸のほうに逃げ帰った。 ()(おも)の婦人だけは、逃げおくれて、波にのまれてしまった。 しかし、大天使聖ミカエルが彼女をしっかりつかまえていてくれたので、彼女は、海のなかで無事子供を生みおとし、腕に抱いて乳を飲ませた。 そして、潮がまた引いて通り道ができると、うれしそうに子供といっしょに水のなかからあがってきた。

聖天使城での出現

三度目の出現は、ある本によると、教皇グレゴリウスの時代にローマで起こった。 というのは、教皇が俗に〈よこね〉とよばれているペストの流行を終わらせるために大がかりな祈願行列をくりだし、人びとの救霊のために祈っていたとき、ハドリアヌス霊廟とよばれていた城のうえにひとりの天使が立っているのが見えた。 天使は、血にぬれた剣をぬぐい、(さや)におさめた。 教皇は、これを見て、神が自分の祈りを聞きとどけてくださったのだと理解し、その場所に天使をたたえて教会を建てた。それにちなんで、この城も、今日にいたるまで 〈聖天使城(Castel Sant'Angelo)〉 とよばれている。 この出現は、聖ミカエルがガルガーノの山にあらわれて、シポントゥムの町の人たちに勝利をあたえた出現とおなじく、5月8日に祝われる。

天上位階での出現

第四の出現は、天使たちの階級秩序のなかにある。 第一の階級は、〈エピパニア(epiphania)〉すなわち上級の出現とよばれる。 第二の階級は、〈ヒュポパニア(hyperphania)〉すなわち中級の出現とよばれ、第3の階級は、〈ヒュポパニア(hypophania)〉すなわち下級の出現と言われる。

階級秩序(hierarchia)という語は、〈神聖な〉の意のイエラル(hierar)と〈王君〉の意のアルコス(archos)とから来ていて、〈聖王国〉という意味である。 これら3級には、それぞれ3隊がある。 上級には熾天使(セラピム)智天使(ケルビム)座天使(トロネ)の3隊がある。 中級には、ディオニュシウス¹によると、主天使(ドミナテイオネス)力天使(ウイルトウテス)能天使(ポテスタテス)の3隊がある。 下級には、おなじくディオニュシウス²によると、権天使(プリンキパトウス)大天使(アルカンゲリ)天使(アンゲリ)の3隊がある。 地上の王君に仕える家来たちとおなじく、これらの(せい)(ちつ)にも、それぞれ位格と職能に違いがある。 というのは、ひとりの王に仕える家来たちのなかには、侍従や顧問や近侍のように直接王個人に仕える者がいる。 上級の3隊は、これに似ている。 また、軍司令や宮廷判事のように、国政全般にたずさわり、個々の地域に配属されない官僚たちもいる。 中級の3隊は、これに相当する。 さらに、代官や城代やその他の下級役人のように、国内の一地域を受けもつ者もいる。 下級の3隊は、これに似ている。 上級3隊は、神のおそばにいて、神と一家をなしている。 このためには、3つのことが必要である。 まず第一は、至高の愛である。 これは、セラピムがもっている。 熾天使(セラピム)とよばれるのは、そのためである。 つぎに、完全な認識である。 これは、ケルビムがもっている。 智天使(ケルビム)と言われるのは、そのためである。 必要な第三のものは、不断の把握と享受である。 これは、トロネがもっている。座天使(トロネ)とよばれるのは、そのためである。 主は、彼らをご自身のなかにやすらわせる一方で、彼らのうえに座し、やすらわれるからである。 中級3隊は、人間全般にかかわることをつかさどっている。 この仕事は、三つのことから成っている。 第一は、指図や命令をあたえることである。

これをおこなうのは、ドミナティオネスすなわち主天使(dominationes)である。 主天使たちは、下級の天使たちを支配する権限をもち、彼らが神のために勤めるのを指揮し、あらゆる命令をあたえる。 たとえば、『ザカリア書』(2・4)で、ひとりの天使がべつの天使にむかって、「走っていって、あの若者に伝えなさい」と言うのがそれである。 第二の仕事は、実行し活動することである。 これをおこなうのは、ウィルトゥテスすなわち(りき)天使である。 力天使(ウイルトウテス)たちにとって、命じられたことで実行不可能なことはひとつもない。 神にたいする勤めをおこなううえでどんな困難ものりこえる力をあたえられているのである。 それゆえ、彼らに課せられたとくに大事な仕事は、奇跡をおこなうことである。 第三の仕事は、妨げ禁じることであって、それによってどんな障害や面倒も放逐するのである。 これをおこなうのは、ポテスタテスすなわち(のう)天使である。 能天使(ポテスタテス)たちは、すべての反対者どもを屈服させる権能をもっている。 たとえば、「トビト書」(8・3)に、天使ラファエルはひとりの悪魔を上部エジプトの荒野まで追いかけていったと書かれているのがそれである。 下級の3隊は、その権能のおよぶ範囲を限定され、特定されている。ある国だけをつかさどる者もいる。 これが、プリンキパトゥスすなわち(けん)天使である。 たとえば、「ダニェル書」に出てくる「ペルシアの国の(きみ)」とは、ペルシア人たちのうえに権勢をもつ天使をさしている。 また、ひとつの町のようなある集団のうえにだけ君臨している天使もいる。 これが、アルカンゲリすなわち大天使である。 さらに、個々の人間を守護してくれる天使もある。 これは、たんに天使(アンゲリ)とのみよばれる。 たんなる天使(アンゲリ)たちは、ひとりの人間にだけかかわるから小事を伝えるとされている。 これにたいして、大天使(アルカンゲリ)は、大事を伝えるとされている。 というのは、個人の救済よりも多くの人たちの救済のほうが大事だからである。 上級3隊の決めかたについては、聖グレゴリウス聖ベルナルドゥスも、上述のディオニュシウス³の見解と一致している。 というのは、このふたりの聖人も、熾天使(セラピム)は神を喜びとすること、すなわち熾烈な愛を意味し、智天使(ケルビム)は深い認識をあらわし、座天使(トロネ)は神のなかにやすらうことをあらわすと言っているからである。 ところが、中級と下級の決めかたになると、2つの隊にかんしてディオニュシウス⁴と意見が食いちがっているようにおもわれる。 それは、権天使(プリンキパトウス)力天使(ウイルトウテス)の2隊についてである。 というのは、グレゴリウスとベルナルドゥスは、ディオニュシウス⁵と見解が異なり、中級の隊は支配統治をつかさどり、下級の隊は奉仕することが任務であると述べているからである。 そして、天使たちは、3つにわかれて支配する。 善霊を支配する者、これが主天使(ドミナテイオネス)である。 良き人間たちを支配するのが、権天使(プリンキパトウス)であり、悪霊を支配するのが、能天使(ポテスタテス)である。 ここから中級天使たちの序列が明らかになる。 奉仕にも3段階がある。 奇跡をおこなうこと、大事を教えること、小事を教えることの3つである。 第一が力天使(ウイルトウテス)の勤め、第二が大天使(アルカンゲリ)の役目、第三が天使の仕事であるという。

食べることも、飲むこともできない人に出現

5度目の出現は、『三部教会史』に書かれている。 コンスタンティノポリスの近くに小さな町があって、むかしウェスタ女神を崇拝していた。 ところが、ここに聖ミカエルのためにひとつの教会が建てられた。 そのために町は、ミカエリオンともよばれている。 さて、アクイリノスという名の男がいて、(しょう)(こう)(ねつ)ともいうはげしい熱病にかかっていた。 医者たちが解熱用の水薬をあたえても、それを吐きだすばかりか、食べたり飲んだりしたものまでみんなもどしてしまうのであった。すでに死期もせまってきたとき、彼は、ミカエリオンの町にはこんでいってもらった。 死ぬにしても治るにしてもこの町しかないとおもったのである。 すると、聖ミカエルが彼にあらわれて、蜂蜜とぶどう酒と()(しょう)をまぜた飲みものを作りなさい、どんな食べものも、これに(ひた)してから食べるのです、そうすれば病気はすっかりよくなります、と告げた。 男がそのとおりにすると、さしもの熱病も(かい)()した。 医術によると、熱病患者に刺激的な飲みものはよくないとされているのに、みごとに常識をくつがえしたのである。


注釈

(sanctus)グレゴリウス(Gregorius)

第六四教皇グレゴリウス一世(位590-604)、聖人(祝3・12)。大教皇とよばれる。最後のラテン教父にして中世的教皇の開始者。古代から中世への伝換期に内外多難な教会を統治し、教皇権の政治的地位を確立、ランゴバルド人、フランク族、西ゴート族との外交関係を円満にしイギリスの宣教に尽力。典礼面においても、ミサの改革をおこない、教会聖歌を新修し、『グレゴリウス典礼書』(現行ミサ典書の基礎)や〈グレゴリウス聖歌〉にその名をとどめている。美術上のグレゴリウスは、教皇の三重冠をかぶり、二重の十字架のついた教皇杖をもち、頭あるいは肩に聖霊の鳩がとまっている。学者、教師、音楽家、学生の保護の聖人。また、彼の代願は、痛風に有効であるとされる。


ダニエル書

『ダニエル書』の主人公ダニエル(דָּנִיּאֵל)は、バビロニアのネブカドネザル大王によって捕因とされたユダヤの少年貴族の一人で、ダリヨス王のとき、王の信頼を受け、3人の総監(最高行政官)の第一人者に任じられたが、他の総監や総督たちにはかられ、王の禁令にそむいたとして、「獅子の穴」に投げこまれた。しかし、主は御使いを送って獅子たちの口をさがれたので、ダニエルは、なんの害も受けなかった(『ダニ』6・1以下)。なお、『ダニエル書』は、旧約預言書のひとつで、シリア王アンティオコス四世エピパネスの圧政に苦しむユダヤ人をはげますために書かれた。ダニエルとその3人の友人たちをめぐる物語の部分(1・6章)とダニエルにあたえられたさまざまな幻視をみずから語る黙示文学的な第2部(7・12章)とに大別される。
ここでは、ミカエルについて、参照となっているのは、『ダニ』12・1である。


反キリスト

反キリスト(Antechristus)、破壊者、悪魔のこと。
〈キリストの滴〉の意。世界の終末に先立って出現し、偽キリスト、偽救世主としていつわりの奇跡をおこない、信仰から離反をそそのかす者または力。『黙示』13・16によると、666という数がその象徴である。
『ダニ』9・27、11・31、12・11、『マタ』24・15、『マコ』13・14。


モーセ(Moses)の遺体

この話は、『ユダの手紙』9に出てくるが、旧約偽典のひとつ『モーセの昇天』(紀元7~31年ごろの成立)からの引用である。しかし、同書のこの話の部分は伝わっていない。おそらくユダヤの民間伝承であろうと言われている。


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カナアン

(「カナン」とも書く) 地方のことで、パレスティナのヨルダン川以西の地域をさした。


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オリヴ山

イェルサレムの東三キロ、オリヴ山の東南にある村。
オリヴ山(Monte Olivarum)は、イェルサレムの町のすぐ東にあり、キデロンの谷をへだてて神殿と(たい)()している。標高814メートル、現在は石炭岩のはだか山であるが、往時は、オリヴの木が全山をおおっていたのであろう。ここは、昇天にさきだつ復活の主が弟子たちと会合された場所であると同時に、その最後の会合の地も、この山がその近くであったと考えられている。山頂は三つあって、そのひとつジェベル・エト・トゥルの山頂からイエスは昇天されたと信じられた。375年ごろ、この場所に八角形の教会が建てられ、十字軍時代に再建されたが、13世紀イスラム教徒に占領され、いま残っているのは、基礎部と中央聖堂だけである。この中央聖堂は、正確に、イエスが「引きあげられた」、地点であると伝えられている。
『ヨハ』11・18、『ルカ』19・29


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最後の審判の日

最後の審判(Extremo Iudicio)は、〈公審判〉とも言い、この世の終末の日に全人類が肉においてよみがえってからおこなわれる審判。その裁き主は、その死をもって人類の罪をおこなった救主イエス・キリストその人であり、サタン(悪魔)が告発者となる。


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ガルガーノ山

ガルガーノ山(Monte Gargano)はイタリア南東部、プーリア州北部、アッペニーノ山脈がアドリア海に半島状に突きでた海抜3000メートルほどの山地である。ラテン語ではガルガヌス(Garganus)。大天使ミカエルの出現があったのは、その南斜面で、本文とは異なり5世紀のこととされる。以来西欧におけるミカエル崇敬の重要な巡礼地となった。現在はモンテ・サンタンジェロ(聖天使山の意)という町である。アプリアはプーリアの古名。シポントゥムは、この山地の(なん)(ろく)にあるマンフレドニア市の近くにある古代ギリシア人の植民市(古名ショポントゥス)。


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トウンバ

トウンバ(tumba)は、現在のル・モン=サン=ミシェルを指しています。ここの聖ミカェル崇敬は、モンテ・ガルガーノの影響を受けて六世紀にはじまった。このように聖ミカェル崇敬は、山とかかわりがあるので、これを北欧神話の主神オーディン(ヴォーダン、ヴォータン)の崇拝と関係づける説もあるが、北欧神話と関係のない東方においても、聖ミカエル崇敬は山とかかわりをもっている。アプリカは、フランス語版によると、モン=サン=ミシェル湾の東の丘上にある町アヴランシュの古名。なお、フランスで聖ミカエルの祝日が10月16日に祝われるのは、このモン・サン=ミシにおける出現に由来する。


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聖天使城

この城は、本来ハドリアヌス帝(117~138年)のときに起工された歴代皇帝の霊廟であり、中世期にはしばしば謀反を起こす貴族たちの旗上げの拠点となった。グレゴリウス伝説にもとづいて 〈聖天使城(カステル・サンタンジェロ)〉と命名されたのは、正しくは11ないし12世紀のことである。


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天上位階論

「天上位階」とは、ここでは、天使たちの聖秩である。偽ディオニュシウスに書かれた〈天上位階論〉から、現代およびグレゴリウス大教皇以来確立したことを指しています。人間の魂がいかにして神に至るかとの視点から、決定的位階と立っています。聖なる秩序であると同時に、知識でもあり、活動でもある。位階は、到達の段階に応じて、神の姿に似たものになろうとし、神より注ぎ込まれた照明の段階(アナロギア)に応じつつ、神と類似のものに向かって高まってゆく。上の位階は下の位階に対して啓示となり、下の位階にある者は上の位階があることによって神の恵みを受け取ることができるという。具体的に言えば位階には天使の位階と教会の位階がある。


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トビト書

旧約外典のひとつ。紀元前3世紀終わりごろか2世紀はじめにアラム語(へブライ語の同族語)で書かれたとされる。トビトとその子トビアス(ラテン語訳では父子ともにトビアス(Tobias)という名前になっている)の旅行記を主にした小説ふうの宗教的読物。


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ディオニュシウス(Dionysius)

天使たちの聖秩について、偽ディオニュシウスに書かれた〈天上位階論〉から、現代およびグレゴリウス大教皇以来確立したことを指しています。人間の魂がいかにして神に至るかとの視点から、決定的位階と立っています。聖なる秩序であると同時に、知識でもあり、活動でもある。位階は、到達の段階に応じて、神の姿に似たものになろうとし、神より注ぎ込まれた照明の段階(アナロギア)に応じつつ、神と類似のものに向かって高まってゆく。上の位階は下の位階に対して啓示となり、下の位階にある者は上の位階があることによって神の恵みを受け取ることができるという。具体的に言えば位階には天使の位階と教会の位階がある。


聖ベルナルドゥス

クレルヴオー(Clairvaux)の〉べルナルドウス(Bernados)(フランス名:べルナール(Bernard)(de)クレルヴオー(Clairvaux))。
聖人(祝8月20日)、大修道院長、教会博士。 1090または91~1153年。
プルゴーニュの貴族の家に生まれ、兄弟たちや親戚、友人など30人の賛同者を集め、1112年の復活祭を期してともにシトーの修道院に入る。
1115年、25歳のとき22人の修道士たちとともに母院をはなれてクレルヴォー(Clairvaux)(フランス中北部シャンパーニュ地方のオーブ県にあるヴィル(Ville)(-)スー(sous)(-)(la)(-)フェルテ(Ferté)近傍)に新しい修道院を創設、初代の大修道院長となり、終生この地位にあってシトー会の事実上の組織者として絶妙の手腕を発揮し、同会の飛躍的な発展を実現したばかりでなく、ひろく全西欧の修道生活にも大きな影響をおよぼした。
生涯に68の修道院を建て、すすんで彼の指導下に入った修道院の数は、160の多きにおよんだ。
典礼を重んじ、万事に華麗で豪華なクリュニ(Cluny)のいわば客観主義的な信仰にたいして、キリストの模倣、内面的な修徳による信仰を主張し、厳律と清貧の生活をモットーとした。
キリスト教の全歴史のなかでも屈指の偉大な宗教的人格であったが、同時に教会政治家としても非凡な業績をのこしている。
三度のイタリア旅行によって8年間にわたる対立教皇問題を解決し、各国の国王たちに第165代教皇インノケンティウス二世(位1130~1143)を承認させた。
また、第2回十字軍の成立も、彼の尽力によるもので、そのためにヨーロッパ各地を巡歴し、とくにフランスのヴェズレー(Vézelay)、ドイツのシュパイアー(Speyer)(ドイツ南西部、ライン川左岸の町、しばしば神聖ローマ帝国の国会が開かれた)の国会での説教は、国王や国民のあいだに宗教的熱狂を喚起した。
最初の騎士修道会である神殿騎士修道会(1118年創立)が1130年に教皇の公認を受けたのも、ベルナルドゥスの積極的な支持と推換があったからである。
12世紀は、ロマネスクからゴシックへの移行期であって、ベルナルドゥスの形姿は、まぎれもなく初期ゴシックの特徴をしめしている。
彼の思想は、聖書(とくに「ヨハネによる福音書」)および教父たちの教えに忠実である一方で、イエスの聖心と聖母マリアにたいして神秘的な崇敬をもち、13世紀のトマス(Thomas)()アクィナス(Aquinas)において頂点に達するスコラ哲学に、さらには神秘思想にも大きな影響をあたえた。
1174年教皇アレクサンデル三世によって列聖、聖遺骨が墓より挙げられ、(移居記念日11月14日)、そのままクレルヴォーにあったが、1790年ヴィル=スー=ラ=フェルテの教会に移された。
頭部だけは、1813年以来トロワ(Troye)の大聖堂宝物庫にある。
崇敬は、彼の死とともにはじまる。
15世紀以来 〈蜜の流れの博士(doctor mellifluus)〉 とよばれるようになったのは、彼の名を冠した偽作が世にひろまったためである。
1830年第256代教皇ピウス(Pius)八世(VIII)(位1829~1830)により教会博士の称号をさずけられた。
本章では、彼の崇敬から生まれた聖伝を語ることにむしろ重きをおかれている。
図像では、片手に十字架をもったシトー(Citeaux)会士の姿で描かれ、かたわらに犬(彼をみごもったときの母の夢にちなむ。
本文参照)や悪魔が配される。
足下にミトラ(μίτρα)(司教冠)が添えられることがあるのは、彼が3度司教に懇請されて辞退したことを、蜜蜂の巣箱は、彼の雄弁をあらわしている。
聖母マリアが彼にあらわれたときの姿や、十字架上のキリストにいだかれている姿が描かれることもある。
養蜂家とろうそく製造人の保護の聖人。


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三部教会史

三部教会史(Historia ecclesiastica tripartita)』 はエウセビオス(Eusebios)の『教会史』を翻訳・断続したアクィレイアの教父ルフィヌス(Rufinus)の仕事をさらに断続・補足したものにすぎないが、中世全体をつうじて長く教会史の教科書として用いられた。


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ウェスタ女神

ローマの古いかまどの女神。ギリシャで神話のヘスティア―と同一視される。各家庭で崇拝されただけでなく、国家のかまどをつかさどる女神としてローマ広場(フォロ(Foro)()ロマノ(Romano))に神殿をもっていた。火が身体で、のの火は、永久に消されることなく、ヴェスターリス(Vestalis)とよばれる六人の乙女たちがつかえていた。)


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