黄金伝説における聖ミカエル
名、出現、勝利、奉献、記憶祝日
キリスト教の中世ヨーロッパにおいて、黄金伝説は、聖書についで一広く読まれた書物である。
北イタリアのドメニコ会修道士、年代記編集者、又は第八代大司教のジェノヴァとして知られているヤコブス・デ・ウォラギネによって、ラテン語でからの間に書かれた。
この作品んを基本的でも紹介するのはとても単純なことではありませんが、ものをいうには、既存だった約百五十人の聖人たちあるいは聖人集団や殉教者たちの列伝史料を編纂しながら、前から存在していた異教の暦の中に一年のカトリック教会の典礼暦を組み込んで巧妙に同化させながら、それを切っ掛けにして福音書からキリストと聖母マリアの生拝の主な出来事を解釈しながらも、事実深く当時社会の様々分野まで、例えば位相幾何学などを含めて、浸透したキリスト教的な神話を作り上げたと書いておけば、間違いありません。
ヨーロッパ中世文学研究者フィリップ・ヴァルテール著の『中世の祝祭 - 伝説・神話・起源』の序章で、「キリスト教定着以前に存在した(...)野生の記憶に由来する(...)「迷信」、伝説といった太古の記憶」が述べているように、異教の旧暦の要素が浮かんでくる文書として、特に興味深く、魅力的だと思われます。
以下では、もちろん極小さいな部分である、139章だけをしか巡礼所としてのモン・サン=ミシェル の元にあると作品の中で言われているから紹介しません。
大天使ミカエルと雄ウシ、まだまだいろいろが登場します...驚くほどに語りが大天使から止まることなく少しづつ密かに天使たちの信仰の語りに展開します。
計り知れない存在と感覚ある実在とをいろいろ考えさせられるのであろうから、信じるか信じないか別にして、自分で出来れば最後まで、当時の独特な強い主教色を怖がらずに、読むことをお勧めします。
黄金伝説の139章の文書:聖ミカエル
聖ミカ工ルの名
ミカ工ルとは、〈だれが神に比べられようか〉という意味である。聖グレゴリウスは、こう書いている。
「大きな奇跡が起こるときには、いつもミカエルが派遣される。その業とその名前から、このような偉大な奇跡は神以外のだれもなしえないということが明らかになるためである」
多くの偉大な奇跡が聖ミカエルのはたらきだとされるのは、このためである。
というのは、ダニエルが書いているように、ミカエルは、「憎むべき破壊者」があらわれるときに立ちあがり、選ばれた民を守ってくれるからである。
たとえば、彼は、竜とその手下どと戦い、彼らを天国から突き落とし、大勝利をおさめたし(『黙示』12章7節~9節)、悪魔がモーセの遺体を祀って、ユダヤ人たちにこれを神として拝ませようとしたときも、遺体をめぐって悪魔と争った。聖人たちのたましいを受けとり、喜びの楽園にみちびいていくのも、ミカエルである。
彼は、もとユダヤ教会堂の守護者であったが、主は、キリスト教会の守護者とされた。
エジプト人に天罰をくだし、紅海をふたつに分け、イスラエルの民をみちびいて荒野をわたり、約束の地につれていったのも、ミカエルであったと言われる(『出エジプト記』)。彼はまた、聖なる天の軍勢のなかではキリストの旗手をつとめる。
彼は、主の命令によってオリヴ山上で反キリストにを力をもって倒すであろう。死者たちは、彼の声によって復活すると言われている。 最後の審判の日に聖十字架と聖釘と聖槍といばらの冠をもってくるのも、彼であるとされている。
大天使聖ミカエルの祝日は、彼の出現と勝利と奉献と記憶の日とよばれている。
出現
ガルガヌスと雄牛の出現
聖ミカエルの出現は、いろいろある。最初の出現は、ガルガーノ山上であった。
ガルガーノはアプリア地方の山で、シポントウムという町の近くにある。主の、この町にガルガヌスという名の男が住んでいた。 山の名は、この男の名前にちなんでつけられた。 しかし、男の名前がこの山の名からとられたとしている本もある。
ガルガヌスは、数えきれないほど多くの牛や羊を飼っていた。
あるとき、彼の牛や羊が山腹で草を食んでいると、一頭の雄牛が群れからはなれて、山頂に登っていった。ほかの牛や羊が山から下ってきたときも、この雄牛だけもどっていないことがわかった。
そこで男は、大勢の牧童といっしょに雄牛をもとめて道なき道を登っていき、ついに山頂の、とある洞穴の入口でこの牛を見つけた。
男は、群れからはなれて勝手な行動をしたことに腹をたてて、雄牛めがけて毒矢を放った。
ところが、矢は、風になぶられかのように向きを変えて、射手のほうに舞いもどってきた。
町の人びとは、これを知ってたいへんおどろき、この大きな奇跡はなにを意味しているのでしょうか、と司教にたずねた。
司教は、の斎食(断食)を指示し、これにはどういう意味があるのか主にお伺いすることにしましょう、と答えた。
そのとおりにしていると、聖ミカエルが司教にあらわれ、こう告げた。
「あの場が自分の矢に射られたのは、わたしの意志によることです。 かく言うわたしは、大天使ミカエルであって、地上のこの場所が気に入って、ここに住み、この地を守ることにしました。 よって、あの奇跡でもって、自分がこの土地の守護者であり番人であることを知らせようとしたのです」
そこで、司教と町の住民たちは、ただちに行列をくんで、奇跡の起こった場所に行き、洞穴のまえでうやうやしくお祈りをささげた。 しかし、洞穴のなかに入ることははばかった。
トウンバ岩山での出現
二度目の出現は、主ののことであったと言われている。
アプリカの町から六マイルほどはなれた海辺のトウンバというところで、聖ミカエルがこの町の司教にあらわれ、この地に教会を建て、ガルガーノの山でおこなわれているように、わたしを記念する場所としなさい、と命じた。
司教がどこに教会を建てたものかと思案していると、泥棒どもが隠した雄牛の見つかる場所に建てなさいというお告げがあった。
また、司教がどれほどの広さの教会にしたものかと迷っていると、雄牛の足跡が地面に残っているだけの広さにしなさいというお告げがあった。
ところが、この場所には、人力では動かせないほどの大きな岩がふたっあった。
すると、聖ミカエルがある男にあらわれ、くだんの場所に行って岩を動かしなさいと命じた。 そこで、男は、出かけていって、ふたつの岩をかるがると持ちあげた。
こうして教会ができあがると、聖ミカエルがガルガーノの教会の祭壇に掛けておいた前帳の一部と、聖ミカエルがそのうえに立っていた大理石の一部がはこばれてきた。
ところで、この土地には水がなかった。 そこで、人びとは、これまた聖ミカエルの命令で固い岩に穴を穿った。 すると、水が滾々と湧きだしてきた。 今日、ここからゆたかな水が流れでている。
聖ミカエルの慈悲のあらわれである。 この出現、に祝われる。
おなじ町で、もうひとつ記憶にあたいするような奇跡が起こったと言われる。
この山は、周囲を海にかこまれているが、聖ミカエルの日には、二度海の潮が引いて、自由に渡れるようになる。
昔のことだから、実際そういうことがあったのであろう。
あるとき、大勢の人びとがこの教会に詣でた。なかにひとり出産まちかの婦人がまじっていた。
ところが、いったん引いたかに見えた波浪が、突然またものすごい勢いでもどってきた。人びとはみな、怖れおののいて岸のほうに逃げ帰った。
身重の婦人だけは、逃げおくれて、波にのまれてしまった。
しかし、大天使聖ミカエルが彼女をしっかりつかまえていてくれたので、彼女は、海のなかで無事子供を生みおとし、腕に抱いて乳を飲ませた。
そして、潮がまた引いて通り道ができると、うれしそうに子供といっしょに水のなかからあがってきた。
聖天使城での出現
三度目の出現は、ある本によると、教皇グレゴリウスの時代にローマで起こった。
というのは、教皇が俗に〈よこね〉とよばれているペストの流行を終わらせるために大がかりな祈願行列をくりだし、人びとの救霊のために祈っていたとき、ハドリアヌス霊廟とよばれていた城のうえにひとりの天使が立っているのが見えた。
天使は、血にぬれた剣をぬぐい、鞘におさめた。
教皇は、これを見て、神が自分の祈りを聞きとどけてくださったのだと理解し、その場所に天使をたたえて教会を建てた。それにちなんで、この城も、今日にいたるまで 〈聖天使城〉 とよばれている。
この出現は、聖ミカエルがガルガーノの山にあらわれて、シポントゥムの町の人たちに勝利をあたえた出現とおなじく、に祝われる。