黄金伝説に於いての

サン=レミ

フランス語では、「サン(saint)(-)レミ(Rémi)」、あるいは史料のラテン語からでは「(sanctus)レミギウス(Remigius)」がフランク族の王であるフランス語ではクロヴィス(Clovis)、ラテン語から「クロドウェクス(Chlodovechus)」に洗礼をしたことは中世時代でのキリスト教の主な著書といえるヤコブス(Jacobus)()(de)()ヴォラギネ(Voragine)が著した『黄金伝説(レゲンダ・アウレア)』の第16章第141章で主に語れています。

黄金伝説の第16章の文書に於いての聖レミギウス

その名前の最初の解釈

レミギウス(Remigius)は、〈牧養する者〉の意のレミ(remi)〈土地〉の意のギオス(gios)とからきていて、〈地の民をその教えで牧養する人〉という意味である。

あるいは、レミ(remi)すなわち〈牧者〉ギオン(gyon)すなわち〈戦い〉とに由来し、〈司教にして戦士〉を意味する。

というのは、彼は、彼の家畜たち、すなわち民衆をその説教の言葉とその善行の範例とその祈禱の助けとによって牧したからである。

また、一般に武器には三種類のものがある。 防御のための楯、攻撃のための刀剣および身を守るための甲冑がそれである。

レミギウスは、信仰を循とし、聖書を剣とし、希望を甲冑として悪魔と戦ったのである。

彼の伝記を書きしるしたのは、ランスの大司教ヒンクマル(Hincmar)であった。

聖レミギウスの生拝

偉大な学者で証聖者であったレミギウスの誕生は、ある隠修士によって預言されていた。

フランク族の国ヴァンダル族に荒らされていたころ、眼の光を失ったひとりの聖なる隠修士がいた。 彼は、ガリアの教会に平和をお返しくださいますようにと日夜神に祈っていた。

する、はたせるかな、主の()使(つか)いがあらわれて、彼にこう告げた。

ケリナ(Celina)という名の女性が、子供を生むでしょう。 その子供は、レミギウスと名づけられるでしょう。 彼は、彼の民族を敵の悪業から救うでしょう」

隠修士は、眼をさますと、さっそくケリナの家に出かけて、夢で聞いたことを女に話した。 しかし、ケリナは、その話をほんとうにしなかった。 というのは、彼女は、年をとっていたからである。

すると、隠修士は、

「聞いてください。あなたがそのお子さんに乳をお飲ませになるようになったとき、その乳をわたしの眼にぬってくださると、たちまちわたしの眼に光が回復するのです」と言った。

そして、万事は、彼の言ったとおりになった。 レミギウスは、成人すると、世を棄てて修道院に入った。 しかし、彼のすぐれた聖性の聞こえが世にひろまり、人びとは、一致して彼をランスの大司教に選んだ。そのとき彼は、年齢(よわい)22歳にすぎなかった。

たいへんこころのやさしい人で、彼が食事をしていると、かわいい(すずめ)たちが食卓に飛んできて、パンくずを彼の手からついばむのだった。

ぶどう酒の奇跡

あるとき、レミギウスは、さる婦人の家に泊めてもらうことになった。 その婦人は、ぶどう酒の貯えがあまりなかった。 そこで、レミギウスは、地下室に降りていって、(さか)(だる)のうえで十字を切り、お祈りをした。 すると、たちまちぶどう酒が樽にいっぱいになり、あふれこぼれて地下室を酒びたしにした。

クロヴイス王の改宗

そのころ、フランク王クロヴイスは、まだ異教徒であった。 王妃は、信仰心のあついキリスト教徒であったが、どんなに熱心に説きすすめても、王を改宗させることができなかった。 あるとき、アラマン人たちが強大な兵力をもってクロヴィスをおそってきた。 クロヴイスは、妻に、彼女の信仰する神の助けがあってアラマン人との戦いに勝つことができたならばその神を信仰しようと約束した。

彼は、望みどおり勝利をおさめることができた。 それで、洗礼を受けるために聖レミギウスのところに出かけた。

彼らが洗礼盤のところに行くと、王に注ぐ聖油がなかった。

すると、そのとき、一羽の鳩がくちばしに入った小さなガラスびんをくわえて天から舞いおりてきた。 レミギウスは、その聖油を王に注いだ。

そのガラスびんは、ランスの司教座聖堂に保管されていて、今日でもフランスの国王たちは、この聖油びんで聖別の塗油式を受けるのである。

頑固な大司教

それからずいぶんたったころ、ゲネバルドゥスという名前のたいへん賢明な人がいて、聖レミギウスの姪を妻としていた。 夫婦は、霊的生活をいとなむために離婚した。 聖レミギウスは、ゲネバルドウスをランの司教に任じた。 そこで、ゲネバルドゥスの妻は、しばしば彼の説教を聞きにやってきた。 こうして顔をあわせているうちに、彼は、妻に情欲をおぼえ、彼女とともに罪におちた。

妻は、みごもり、男の子を生んだ。 その知らせが、司教の耳にとどいた。 彼は、たいへん恥じ入って、妻に、

「その子を(ちゅう)(とう)と名づけなさい。 盗みによってもうけられた子供だからです」と伝えさせた。

その後も、彼は、これまでどおり妻を自分のところに来させていた。人びとが感づいて、悪評がたつのを防ぐためである。 しかし、ふたりは、その罪業のために涙していくばくもたたないうちに、ふたたび罪におちた。 彼女は、女の子を生んだ。 それを彼に知らせると、彼は、

「その子を(めぎ)(つね)と名づけなさい」と言った。

その後、彼は、自分の罪業をつくづく反省し、聖レミギウスのところに出かけて、その足もとにひれ伏し、ストラを肩からはずそうとした。

レミギウスは、これをおしとどめ、その罪業の告白を聞くと、やさしく慰めてやった。 そして、彼を小さな庵室に閉じこめた。

レミギウスは、そのあいだ彼にかわってその司教区のめんどうを見た。 7年目がめぐってきて、ゲネバルドゥスが聖木曜日にじっと祈禱をつづけていると、主の御使いがあらわれて、

「あなたの罪は、赦されました。 立って出ていきなさい」と告げた。

ゲネバルドゥスは、

「出ていくわけにはまいりません。 レミギウス閣下(かっか)が扉に外から錠をおろし、ご自分の印で封印なさっているからです」と答えた。

「天国があなたに開かれているように、 この扉も、封印をやぶらずに開かれているのです」と、

天使が言いおわるやいなや、

扉がばっと開いた。

すると、ゲネバルドゥスは、扉ロのまんなかに十字の恰好(かっこう)に身を横たえて、

「わたしは、ここを出ません。たとえ主キリストがみずから来られようとも、わたしをここに閉じこめたわたしのレミギウス閣下が来られないかぎりは」と言った。

そこで、聖レミギウスが、天使の言いつけでランにやってきて、ゲネバルドスをふたたび司教に任命した。 彼は、それ以後死ぬまで善行のうちに暮らした。 彼の息子偸盗(ラトロ)も、父のあとを継いで司教になり、聖人とまで言われるようになった。 聖レミギウスは、主の有徳と聖性とにみたされてやすらかに世を去った。

ヤコブス・デ・ウォラギネ、黄金伝説(レゲンダ・アウレア)、第16章。