イリス

ヴェルサイユの大トリアノン宮殿にある、ルネ=アントワーヌ・ウアス、《イリスとモルペウス》絵画
眠りの神の洞窟に入るユノー女神の伝達者であるイリス
イリス眠りの神

大トリアノン宮殿(le Grand Trianon)に展示されているルネ(René)(-)アントワーヌ(Antoine)()ウアス(Houasse)が描いた「イリス(Iris)(et)モルフェ(Morphée)」絵画がルイ=フィリップの家族の間(le Salon de Famille de Louis-Philippe)に見られます。
オウィディウス(Ovidius)が書いた「変身物語(Metamorphoseon)」において、夫婦ケユクス(Ceyx)アルキュオネ(Alcyone)の深い愛情が語られている。
ある日、アポロン(Apollōn)の神託を伺うためにクラロス(Claros)へ赴こうとしたケユクスは「どうか陸路で行ってほしい」という妻の言葉を聞き入れずに船で出かけ、(おお)()()に遭って海の()(くず)となってしまいます。
何も知らないアルキュオネは日夜ユノー女神(Juno)の神殿で夫の無事な帰還を祈っていましたが、もはや叶えようもない祈りを聞かされ続けるのはユノーにとってもつらいことでした。
見かねた女神は哀れな妻に真実を知らせてやるべく、イリスを呼んでこう命じました。
「眠りの神男ソムヌス(Somnus)のところへ行き、アルキュオネに亡きケユクスの夢を見せて事の次第を教えてやってくれるよう頼んでちょうだい」
女王の命を受けたイリスが眠りの神であるソムヌスが住む洞窟を訪れていく...


イリス

583(イリス)」女神はあまたの色で飾られた(ころも)を身にまとい、大空に虹のような弧をえがきながら、いいつけられたとおり、雲のしたに隠れた王者の住居ヘ向かうのだ。

キムメリア(Cimmeria)たちが住んでいるあたりにほど近く、(ほら)になった山がある。 たいそう奧深い洞窟だが、ここが、(らん)()な「眠り」の神の住む奥殿だ。 ここには、朝も、夕暮れもおよそ一日のあいだじゅう、日がささない。 地面からは、雲霧が立ちのぼり、(もう)(ろう)とした薄明がたちこめている。 ここでは、()(さか)をいただいた鳥も、「(アウロラ)」を呼ぶために鳴くことなく、油断ない番犬たちや、その犬よりも耳ざとい()(ちょう)の声が静けさを破ることもない。

600 野獣も家畜も、風にそよぐ枝も、もの音をたてず、かまびすしい人語も聞こえはない。 ひっそりした静寂が住みついている所だ。 ただ、岩の底から「忘却(レーテ)」の流れが湧き出していて、河床の小石のうえをさらさらとせせらぐ水のささやきがまどろみを誘っている。 洞窟の入ロには、たくさんの()()が咲き、おびただしい草木が花をつけている。 それらの草の乳液から、露に濡れた「夜」が、眠りをあつめ、暗い地上にそれをふりまくのだ。

(ちょう)(つがい)の回転で、戸がきしむこともない。 住居のどこ見ても、一つもない。入るところに番人もいない。 しかし、中央に、黒檀でできた羽毛ぶとんのある黒一色(いっしょく)な掛布で被われている寝台が置かれている。 そこには、何もしないことで重くなった手足の神が、横になっている。 彼のまわり、あちらこちらに、いろんな姿振りで、惑わす「夢想」が寝ころがっているが、そのたくさんなことといったら、まるで実った麦の穂が、森の木の枝か、海岸にある()(さご)の数ほどもあるのだ。

乙女がここへはいった次第、手で邪魔となっていた夢たちをはらいのけながた、神聖なる住居と神は、女神の衣の輝やきで照はえた。

620 「眠り」の神は、どろんと重たげな目を辛うじてあげ、何度も何度もうしろヘ倒れかかりながら、こくりこくりする(あご)(のど)(くび)のあたりにぶつけていたが、とうとう目をさますと、(かた)(ひじ)をついて起きあがり、用むきをたずねた。 女神の姿に気づいたからだ。 女神はこう語りかけた。

「万物を憩わせる『眠り』よ、このうえなくおだやかな神よ、心の安らぎよ! あなたこそは、悩みを遠ざけ、苦しい仕事に疲れたからだを慰めて、つぎの仕事への備えをさせてくれるのです。 それはそうと、うまくほん物を真似ることのできる夢の幻を、ヘラクレスにゆかりのトラキスまで()()していただけませんか。 難船したケユクス王の姿を借りて、アルキュオネに近づき、そのさまを写し出させてほしいのです。 いっておきますが、これはユノーさまのご命令です」

ロ上をいい終えると、すぐに「(イリス)」は立ち去った。 これ以上、眠気を我慢することができなかったからだ。 眠りが手足に忍びこんで来るのがわかると、急いで逃げ出し、先ほど通って来た虹の橋で、引き返えした。

オウィディウス、変身物語、第11巻より

その後、ソムヌスは、息子たちの中から夢の神モルペウス(フランス語で「モルフェ」)を選んで、アルキュオネの元に派遣しました。
モルペウスはケユクスそっくりに身を変えて彼女の夢枕に立つと、こう告げました。
「愛しい妻よ、私はおまえの危惧した通り嵐に遭って死んでしまった。どうか私の死を嘆き、葬儀を執り行っておくれ。このままではつつがなく死の国に赴くことも出来ない」。

あまりのことに飛び起きたアルキュオネは悲しみに狂乱し、自分も入水して夫の後を追おうと浜辺に駆けていきますが、そこで波に揺られて流れ着いた夫の遺体と遭遇します。
身も世もあらず悲嘆する彼女の姿が神々の同情を買い、2人は(カワ)(セミ)に姿を変えられるのだ。

絵画の題名について:

17世紀に、絵画は 《イリスとモルフェ》 と名付けられたが、以上で明らかになっている通り、この題名は、 「変身物語」 で書かれている話と合わせて考えると、矛盾が生じると否定できない。
文書だと、イリスが眠りの神のソムヌスの洞窟を訪れることになっていることが、絵画の題名ではモルフェ(Morphée)になってしまっていることから、 《イリスとソムヌス》 との題名のほうが適切だと断言できる。 モルペウスはソムヌスの息子であって、夢の神としても知られている。

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