ヘラクレスの神格化Apothéose d'Hercule

フランソワ・ルモワーヌ作《ヘラクレスの神格化》、ヘラクレスの間、ヴェルサイユ宮殿
フランソワ・ルモワーヌ作《ヘラクレスの神格化》

1736年の9月26日、ヴェルサイユ宮殿で、ルイ(Louis)15(XV)により、新たに改装されたヘラクレスの間(Salon d'Hercule)のために作られた、この画家フランソワ(François)()ルモワーヌ(Lemoyne)の作品《ヘラクレスの神格化(L'Apothéose d'Hercule)》が除幕されました。
これを切っ掛けに、文芸誌「(Le)()メルキュール(Mercure)()(De)()フランス(France)」が、この注文を受ける条件について、または構図の詳細を教えてくれる、おそらく画家自身によって書かれた特別なテキストを出版しました。   以下の文書はこのテキストです。
この画家の作品は、文書が明らかにしてくれてる多くの理由で例外であり、特に彼の最後の中の一つの作品は特別です。
なにしろ、芸術家は1737年の6月4日にこの作品完成させた少し後に、自分の人生を終わりにして、パリのアパートで自分を剣で何回か刺して...
それなのに、今までまだ翻訳されてはいませんでした。   いろんな方々に声を掛けて、いろいろ協力して頂いたおかげで、以下の文書が出来あがりました。   よく読むと、文書のところどころに、画家本人の言葉に疲れが溢れることも見えて来ると思われます。
また、文書のおかげで、作品の圧倒的さを乗り越えて、少しでも、《ヘラクレスの神格化》の中に入って、英雄本人の側から、画家本人の言葉の導きで案内されているかのような気分にもなれれば、より身近に自分で作品の評価を分かち合えることもできるでしょう!

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ヴェルサイユ宮殿にある控えの間、王の礼拝堂の前で「大理石の大広間」と呼ばれている部屋の天井画

私たちが2年以上前から関わっているメルクール・ド・フランスは、 ずっと芸術を称賛することに特別な考慮を払ってきたにも関わらず、
今日見えてきた機会より素晴らしいものがなく、 その栄光を広めるため、民衆の目にさらされたこの油彩の大作について触れる機会を逸したら、何ひとつしなかったこととなるでしょう。 このかけがえのない機会は、今世紀に我々の学派がもっと例証すべきものであり、後世のルイ15世統治下でのフランス絵画の発展を立証する輝かしい記念物の役割を果すことでもあります。

ヘラクレスの神格化が、この絶大な素晴らしい構図の題材となっています。

パリ出身で、王立絵画彫刻アカデミー講師、同アカデミーの講師ガロシュ氏の生徒であるフランソワ・ルモワーヌは、王の命令により4年前からフランス大貴族、陛下諸騎士団所属騎士、オルレアネー公領監督、国務大臣、王室造営物総監、賢明な芸術庇護者、いつもその発展に協力することに特別な協力をしてきたアンタン公爵(le Duc d'Antin)の指導下で手掛けてきた

9月26日水曜日、大作をお披露目する運命の日、王がミサに行くための通路にその控えの間はあった。
陛下は殿様たち、フルーリ枢機卿とその他の家臣たちに付き添われ、とても大勢の群衆を彼方から引き連れてきた。
そこには長く立ち止まり、ミサの帰りにもさらに長く留まった。   王は個々の構成を細かい部分、とりわけ、組ごとの違い、デッサン、色、全体の魅力的な効果まで鑑賞されました。

陛下は、審美眼の繊細さと絵画と芸術への嗜好もよく知られているとおり、 ルモワーヌ氏の才能と美的意識を大いに誉め称えた後に、 すぐさま彼を国王付第一画家に、宮廷全員と好奇心でヴェルサイユに引き寄せられた数えきれない見物人の拍手の中、任命しました

それにより、毎日、見物人の人数は減らず、この偉大な構図の出来映えを称賛するまでに増え続けている。
名高い(Le)()ブラン(Brun)によって描かれた大回廊の一番大きな部分でも、この作品の元の半分よりも大きくありません。  


大回廊

大回廊(la Grande Gallerie)は正式呼称であります。いわゆる1684年での計画の完成の段階での呼称。しかし、17世紀では、鏡が非常に珍しくて高額のものであったため、公開された段階から、大回廊より、一般的に「鏡の回廊(la Gallerie des Glaces)」と呼ばれるようになりました。  


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