洗礼者ヨハネと福音書記者ヨハネの三連画
メムリンク美術館、聖ヨハネ施療院、ブルージュ

ハンス・メムリンクの主な作品
十五世紀からブルジュの聖ヨハネ施療院の三連画
この三連画は、~年にかけて建てられたブルージュ(フラマン語では、ブルッヘ)の聖ヨハネ施療院の教会の新後陣の主祭壇のために考案され、設置された。
枠は《ハンス・メムリンク作》との記載文を示しています。それはブルージュに十五世紀の後半に活躍した初期フランドル画家である、ハンス・メムリンクの最初の知られている署名である。また、日付も表示されている:《年》。
作品が中央パネルと、それに金具によって付けられている右と左にあるニ翼パネルがそれを取り囲んでいます。
表わされている人物が等身大よりやや小さ目に表わされています。
この記事について
この記事の目的
私たちが作文するこの記事は最初の一見した印象を超えるのを目的とする
ここでは私たちの目的は作品の解説を生み出すのではなく、しかも描写を。その描写によってその作品をよりよく把握出来る要素を提供するのです。それは質の良い複写注1 、作品の主な根源、文献的であれ、画学的であれです。それは、現在では、例えば図書館でも借りれる紙で印刷されている専門的な本ででもよくほのめかしや参照させることによってからしかされていません。
メムリンクに直接影響があったと思われるのはもっともである、文書的であれ、絵画的であれ、各々の源を繋がげること、
それで作品の一貫性だけでなく、その統一性を納得できる語りを再現すること、
私たちが提示する各々の文書を私たちの選択が判断出来るように提供すること。
そうしながら、私たちは読者に十五世紀のブルージュ社会をより親しい理解ができるようにするのであろう、特に: ヤコブス・デ・ウォラギネ作の、黄金伝説という作品のキリスト教の驚異的さ、宗教的改革運動の感受性である、「新しき信心」、ブルゴーニュ公国の街の経済の豊かさや社会の豪華さ。私たちの目的が達成されたといえるのは、読者本人がこんなに存在感の大いなる輝きのある関心を引くことに値すると思われる作品をご自分で測ってそれによってその感覚を深めることができればです
この記事の目次
以下のページでは、より深い理解を提供するようにさまざまな面を紹介しています。
まず、施療院の教会の新しい後陣である展示空間での三連画の写真紹介によって、
それから、象徴され用としている内容を描写する文書によって、
最後に、画像の様々な要素に合わせて画家本人が宗教的な題材を表すために基づいたと思われる様々な文書との関係によってです。
展示空間での作品の写真的紹介



作品の説明
作品の描写

私たちはまず作品が表わそうとしている事を描写しましょう。そのため、視線を追います。それは、主な場面から始まります。
聖母の戴冠
中央の聖母は、綺麗な模様のある上級繊維の前で、赤いベルベットのバルダキンの下に金箔の王座で座しています。

彼女は上空を飛んでいるニ人の小さな暗い青の天使によって「天国の女王」の冠を戴こうとしています。

幼子イエス
彼女の膝に幼子イエスは、座ったままで、左手でリンゴを掴んでいて、右手では、聖母の左下前方に居る女の人の薬指に、金の指輪を、聖母の下と左で、はめようとしています。

アレクサンドリアのカタリナ
アレクサンドリアのカタリナ
殉教の道具である剣と壊れた車輪があるので彼女は、アレクサンドリアのカタリナです。

アレクサンドリアのカタリナは十三世紀末期からとても人気のある聖人でありました。
彼女の伝説はヤコブス・デ・ウォラギネが『聖カタリナ』という『黄金伝説』の168章に記述さられていて、とても面白いです。
黄金伝説によるアレクサンドリアのカタリナの伝説の文書をを読む。
メムリンクがこの文書に基づいて描いたことは非常に確実らしいです。
現代の歴史家たちはアレクサンドリアのカタリナが確実に存在したか 注2 疑っています。
カトリック教会もそれを認めている。その崇拝がに一般ローマ暦から取り除かれた。
伝説において、並外れた教育ととても素晴らしい美しさを持った、の上流階級貴族の一人とされています。
カタリナはアレクサンドリアに三世紀又は四世紀に生きたであろう。
彼女はキリスト教徒たちを強要して公に信仰を棄教させる当時のローマ帝国大帝マクセンティウスに挑戦させます。
マクセンティウスがこの優秀な女の人に面することに驚きます。彼女は勝れている会話によって彼を侮辱させ、悔しくさせています。
彼は、自分の尊厳を維持することに苦労して、たくさんの新たな展開のある長い精神的な対立を経て破られ、結婚することを彼女に勧めます。
カタリナは、信仰の名によって拒否し、殉教する方を選びます。
処刑の際では、天からイエス自身の声が聞こえてきたのであろう、彼女にいうために:
中央パネルでの聖母と幼子イエスのそばでの聖カタリナの存在から、この三連画は時には《聖カタリナの神秘的結婚》とも称されたことがあります。
二人のヨハネ
二人とも「ヨハネ」と呼ばれているのも出資施設である「ブルージュの聖ヨハネ施療院」に由来しており、「洗礼者ヨハネと福音書記者ヨハネの三連画」である現代の公の呼称をも。
彼たちの伝説が数多くのいくつかの場面で三連画の内側の範囲全面(中央パネル、右翼と左翼パネル)に語られていることから、
二人とも「ヨハネ」と呼ばれていて、それで密かにブルジュの聖ヨハネ施療院である注文施設を作品に具体化しながら、現在の公け呼称、《洗礼者ヨハネと福音書記者ヨハネの三連画》をも裏付けていることから。
彼たちは双子のように聖母の右と左の両方の奥の方に立っています。
洗礼者ヨハネ
奥の方では、左に、白い色の子羊の存在が、素晴らしい紫色のチュニックを着る男の人を洗礼者ヨハネとして見分けることを可能にしてくれています。
羊は彼が弟子たちにかけた現世でのイエスの到来を告げる言葉を思い出させてくれる(ヨハネ、第1章29節)注4 :
そして、ヨハネが右腕で幼子イエスを指し示しています。

ここでは、子羊が新しい、キリスト教の独特なシンボルです。
旧ヘブライ信仰では神を喜ばすには動物の生け贄をささげなければならなかったこととは逆に、キリスト教は神に気の入る唯一の本当の生け贄が信者がイエスを模範にしてイザヤ預言者のこの言葉に基づきながら、自分から神に自分自身を生け贄とささげるのであることを断言しています(イザヤ、53・7):
その紫色のチュニックの下に、もう一つのチュニック、薄い栗色のが、文書(マルコ、1・6)がエリア預言者の毛皮衣を真似て(王2、第1章8節)、ラクダの毛であることは明らかです。
この同じ毛皮衣がまたヤコブが、母リベカの指示で、とても毛深いの兄エサウに、眼の見えない父であるイサクを毛皮の衣を着ながら思わせるようにした創世記の一つの話し(創世記、第27章1~40節)にも基づきます。
彼の術策が不正に祝福されるとそれでエサウ代わりに唯一の相続人となることを可能にします。
このチュニックがまた動物を制御の印となっていて、洗礼者ヨハネの場合、ラクダが砂漠を横断することは、修行により動物を制御することで可能になるという意味になります。
福音書記者ヨハネ
他方、右では、もう一人が立っていて、神父のように赤い色の服を着ている男の人が右手から十字架の描き、中に蛇のいる杯を上にしています。これは福音書記者ヨハネである。

私たちは福音書記者ヨハネであることが黄金伝説の第9章の巻から明らかにしています。
そこでヨハネは毒の入った盃を飲むことで、公に挑むアジア(おそらくエフェソス)にあるディアナ社大祭官のアリストデムスと対立します。
彼は、メムリンクが表している通り、十字の印を描いて、盃を飲みますが毒が彼に何の悪をさせません。
蛇が同時にイエスがニコデモを思い起こすこともしている。(ヨハネ第3章14節):
「ヨハネ」の名、その語源
「ヨハネ」という名前の語源がヘブライ語の「ヨハナン」から来ています。発音は:
あなたのブラウザーは audio 要素に対応していません。
文字通りに「神」が「恵」か「慈悲」。
同時にヘブライ語では、「神」は「存在しているもの」という意味をも持っているから、「恵」か「慈悲」が「宿るもの」という意味になります。
この名前がヘブライの民の歴史のあまり知られていない他の人物の名前として知られているとしても、とても人気となったのはキリスト教が芽生えた後、キリスト教界での二人が果したとても大切な役割からです。これらの役割をこれから細かく語ります。
大殉教者バルバラ
聖母の右手前方には、十五世紀ではブルージュにしか制作されていなかった緑色の羊毛の素晴らしいチュニックを着るもう一人の女の人が本を読んでいます。
彼女の存在が、反対側に、前にあるアレクサンドリアのカタリナのを対象しています。
彼女の後ろにある白い色の石での聖櫃塔が、彼女は大殉教者バルバラであることが示されています 注5 。

アレクサンドリアのカタリナと同じように、現代の歴史家たちが実在したことを疑うと、彼女の名前もカトリック教会の一般ローマ暦から取り除かれました。メムリンクが彼女を描くために基にした文書も元々黄金伝説に含まれていませんが、他の文書と同様に、後で追加されることなりました。
黄金伝説に追加された《大殉教者バルバラの伝説》の文書を読む。
その伝説によりますと、バルバラは旧ビテュニアの首都二コメディア注6 に住んでいました。 欠点としてバルバラは美しいこと。。、こんなに美しいことから、とても若いころに、彼女のお父さんが彼女を塔に閉じ込めさせましたの!
文書だとバルバラがそこから地上的現世の拙さ
を感じて、天上的
妙
なるものごと
に気にし始めるとなっています。
当時には禁じられているのに、彼女が少しづつローマの神々から離れて、密かにアレクサンドリアの一有名のキリスト教徒オリゲネスに手紙を書きます。
彼は彼女に返答し、芽生えている信仰を強めて、彼女を訪れて、こっそりと洗礼を授けます。
その後、神々を信じることを公に拒否したことにより、密告されたことで、彼女は殉教します。 その時、イエスの声が天から聞こえて来たのであろう:
自分の父が頭を刎ねたのです。
塔の組み合わせ隙間を通して、ガラス製の円柱が見えています。その中に薄く一個の聖体があります。

聖体は聖人としての表像の一つでもある。パネルの他の部分との「聖なる会話」という形を示している繋がりの一つでもある。
聖なる会話
聖母マリアと幼子イエスの周囲の聖なる会話
マリアの戴冠式には、カタリナとバルバラ、洗礼者ヨハネと福音書記者ヨハネのいわゆる「聖なる会話」注7 聖母の周りの聖人の集会にニ人ずつ参加しています。

この交わりの趣は以下の存在によってさらに強くなっている。
聖母の左手の小さなオルガンを弾く座った侍者と、
左手の彼女に本を差し出す跪いたもう一人

聖なる会話L、「新しき信心」注目に値する表現
左右対称、単純さ、中心人物の配置の識別
幅での位置関係の左右対称と単純さが三連画の形とよく合います。
高さと奥行きが男女の識別により配置されています:
前と下の方では、女の人ニ人で、
後ろと上の方では、男の人ニ人です。
奥行きと高さでの計り知れなさと神秘に、横での位置の左右対称と単純さが対応しています。
顔立ちの類似性、表わされている年齢の多様性
表わされている人物は同じ家族に属しているようと、あらゆる年齢であることに見えます:
生まれたばかりの赤ちゃん、
小さな子供、
子供、
少年、
若い男の人、
女の人、
お母さま、
男の人、
年のある男と女の人。
この顔立ちの類似性と年齢の多様性が場面全体を統一させています。

新しき信心、十五世紀のフランドル社会のキリスト的改革運動
顔立ちの類似性と年齢の多様性が全体を統一させています。
私たちはこの均衡がメムリンクが生きた社会の注目すべき特性であると当時の、歴史家たちが「新しき信心」と呼ぶキリスト教信仰のとても大事な改革運動をよりよく把握するために無視することはできないと考えています。
新しき信心、普遍的、単純な、純粋な、透明な改心
フランドルで、メムリンクの時代では、あるキリスト教信仰修練書は、「キリストに倣いて」、大変なベストセラーであって、「新しき信心」が何であったかを表わすことを我々に今日可能にしてくれています。
メムリンクが表わして場面では、聖なる会話自体が以上の文書の言葉によると単純な、純粋な、建築的装置と調和している聖なる教えの満ちた書物
として働いている。
建築的装置
表わされている場所、教会の後陣の配置が三連画の鑑賞者たちに対しても働くことを可能にしてくれています。
絵画を観賞している私たちも事実上、絵画の空間に含まれていることになっていて、それで、聖なる会話の一部として、表わされている中心人物たちに直面しながら、この単純的な、透明意的な、親校的な他者性な関係で。
この視点から、メムリンクの作品が「命の鏡」として:
片方では、病人たちが表わされている人物と「会話」していて、
もう一つの方では、のブルージュ市民として、あるいは二十一世紀のメムリンク美術館の来館者たちが今ここに「現れる」。
ついに、霊的単純さと明白さが驚異的に絶え間なく物質的な精巧さと豪奢さを作り出している。
ディルク・ド・ヴォスが言及すると:
観賞者たちに対して、実際、単純さと明白さが制限を知らないで、神聖性へと導くのです。
メムリンクが自分を導かさせているのは異論の余地のなく彼が聖ドナティウス大聖堂に行って魅了されたことが知られている、に描かれたヤン・ファン・エイク筆の「ファン・デル・パーレの聖母子」です。

他の数の多くの作品と同じように、メムリンクが背景から壁、窓を取り除いて外への視覚を連続的にさせている。

赤と茶色を混ぜた六本の円柱がタイル上の半円に配置され、その外側でニつ目の暗いグレー色の付け柱がニ重の半円形に並んでいる。 その底面が地面に多角形を示す舗装の境界線で結ばれている。
円柱の間の縦々の隙間は、視覚的に連続的な跡蹟と建物のある、無限な、地平線ともなっている遠景に開放である景色と繋がっている。
絵画的物語の構成
語りの仕組み
語りがいくつかの小さな場面を中心に仕組みられている。
ニつの伝説: 洗礼者ヨハネのと福音書記者ヨハネの、
聖ヨハネ施療院、いわゆる三連画を依頼する施設に属するブルージュのクレーン広場を表している場面のとです。
ニつの伝説が空間的に円柱の柱頭ぐらいにある各聖人に上に位置づけられているいくつかの刻まれた場面で始まる。

数多くの他のメムリンクの作品に見出されるこの構成の組み方が写本の細密画のレイアウト技術を継承している 注9 。いくつかの場面がとても高く位置づけられている地平線まで段状に積み重ねるように配置されている。
それぞれの小さな場面が遠景でそれぞれの円柱によっていくつかのフレーミングの枠内に位置付けられている。

ニ伝説の語りがそこから各々のニ枚の翼パネルの内面にと続きます。

各の翼パネルに、ある一話しが前景に主な場面が語りで遠景にいくつかの小さな場面に補われていることで形づくられている。
左に、ヘロデ王の命令で洗礼者ヨハネが斬首される、
右に、, 福音書記者ヨハネパトモス島で黙示録の文書の「ベールの取り除き」を受けている。
聖母の後ろの上級繊維の右に後景で、福音書記者ヨハネの後ろでのクレーン広場と聖ヨハネ教会の景観は、直接と作品を依頼した病院を経営する宗教士たちと施設の歴史に関係している。

病院のニ人の兄弟たちがこうしてブルージュに着く諭入されたボルドーワインを測定することで表わされている。
私たちに年ごろに病院が市に市の特権、自分の収入の源でもあった「計量する権」を任せられて来たことを思い出させてくれている。
洗礼者ヨハネと福音記者ヨハネの伝説の場面
洗礼者ヨハネと福音書記者ヨハネの諸伝説

私たちはここでメムリンクが迷いなく基づいたニつの語りに従って進んで行きます。それは黄金伝説でヤコブス・デ・ウォラギネが報じる通りの各々伝説です。
メムリンクが描いた場面はこれらの文書を正確に表わしているので、より深く各々の文書と三連画の繋がりを実感したい方々に直接文書を読むことをお薦めします:
黄金伝説の第65章でのラティナ門外の福音書記者ヨハネの伝説の文書を読む。
黄金伝説において洗礼者ヨハネの伝説の諸場面
私たちは年代順で福音書記者ヨハネより先とされている洗礼者ヨハネから始まっている。
中央パネルの上部と奥景の左と左翼の内側パネルに彼の生拝と殉教を表すいくつかの場面が表わされている。

歴史的な面では、1世紀にユダヤ信仰のローマ史家であるフラウィウス・ヨセフスの証言(「ユダヤ古代誌」、第18書、第5章、118段)によれば、ヨハネはガリラヤでのナザレのイエスの時代のユダヤ教伝道師として表わされている。
当時のガリラヤは多くの反乱で知られているローマ帝国の属州である。
その人口が、多数的にユダヤ教であって、とても信心深いです。 聖書のそれぞれの書物が神のお使いの到来を予告していて、その活動によってユダヤの民が自分の独立、その宗教的組織、特にエルサレムでのソロモン神殿の再建を可能にすることを回復してくれる。
キリスト教の教義の面では、 ヨハネは、ルカの福音(第1章、5~25節)によると、エルサレムへ行くために偶然選ばれて、神殿で祈りをささげたころ、神自身が大天使ガブリエルによってヨハネの誕生を告げるガリラヤの田舎のユダヤ教の年とった司祭ザカリアの息子である。
その通り、メリングが彼を最左の柱頭に表わしている。

文書がザカリアがそれで言葉を失うことを示している。
その誕生がその右に位置付けられている柱頭に表わされている。

この息子の名前、「ヨハネ」も語り筋の争点の一つとなる (ルカ第1章、59~63節):
信仰の観点から、洗礼者ヨハネは神の意志によって世にゆえにやって来る。
伝説 — 続き
その後、彼は砂漠で修行者の模範的な生活を送っている(ルカ第1章、80節)。
メムリンクがこの場面を森に移動させている。

罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝える
ことも見られる(ルカ第3章、3節)。

罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝える洗礼者ヨハネ》
ヨハネは当時のユダヤ教では新風を吹きこんでいる。 彼は特に火葬によって神殿で動物を犠牲にしてではなく、しかも「洗礼」によって、いわゆるこの言葉の語源どおりだと水の中に「没入」することで罪の赦しを得ることを勧めるように仕向ける。
聖書のそれぞれの書物に従って、彼は神の遣わされたお使いの到来を同時代人の一人であるナザレのイエス本人に預言する。
彼はその到来をヨルダン川の水での洗礼で承認する。この場面が左翼パネルの内面の上部に表わされている。

向こうの岸に、洗礼者ヨハネが自分の最初の弟子のニ人であるアンデレと使徒ヨハネも彼に加わるよう、見よ、神の小羊だ
という言葉でイエスに紹介している。彼たちは彼と合流する。
そこから、彼の運命が悲劇的になる。
ガリラヤとペレアの四分封領主であるヘロデ・アンティパスが自分の兄弟フィリポの妻
(ヘロディア)と結婚する(マルコ、第6章・17節)。
ユダヤ教の信仰はどんな兄の妻との結婚とも「汚れ」と見なしていて、ゆえに形式的にそれを禁じている(レビ記、第18章・16節、第20章・21節)から、ヨハネはそれを糾弾する。
ヘロデは[ヨハネの]説得させる能力が
反乱
を誘発することを恐れられていた(ユダヤ古代誌、第18書、第5章、118段)。
「群衆はこの人の忠告に完全に従いそうであったから。だからヘロデは、彼のせいで何かトラブルが起こる前に、彼を捕まえる方を後に騒動が起きた場合に悔むより好んだわけだ。ヘロデの嫌疑のせいで、ヨハネはマシャエロに送られ、
(…)
そこで殺された。」
実際、ヨハネの信奉者たちによってトラブルが起こされた場合、ヘロデが自分を取り上げることのできるローマ当局に事情について責任を取らなければならなかったのだった。
彼は「洗礼者ヨハネを逮捕する命令」を出す(マルコ、第6章・17節)。

中央パネルでは、メムリンクがこの場面を白羊の上に、ヨハネが強制的に古代ギリシャの語源は「剣」という意味と、現代のヨルダン国に位置付けられているの現代マシェロント注10 の牢へ向かって左の翼パネルへ連れて行かれている。
伝説 — 続き
左翼パネル内面に語りが続く。

ヨハネを、信奉者たちのトラブルの騒ぎを起こさずに死なせるのを成功させるために、ヘロデが彼らを欺くよう、ごまかしを考える(マルコ、第6章・21~22節)。
「自分の誕生日の祝いに」ガリラヤの「高官や将校、ガリラヤの有力者などを招いて宴会」を催す。
「ヘロディアの娘サロメ」が姿を現して踊る。
《サロメの踊り》は左翼パネルの左上部にある宮殿の塔で行われている。メムリンクが塔の壁をこの場面を鑑賞者たちに見せるように省いた。
その上、壁龕での像が、ヘロデの不倫行為をおのめかすいくつかの不信心な人物、裸の女性のニ人の間の一人裸の男性が表わされている。

ヘロデがその踊りを気に入ったことを見せかけて、ヨハネの死の責任を免除するには言う(マルコ、第6章・22~25節):
こうしてヘロデは,自分の意思に反するヨハネを死なせるように見える。
この語り筋のすべてが本当にヨハネを、信奉者たちのトラブルの騒ぎを起こさずに死なせるためのごまかしである証拠が、ヤコブス・デ・ウォラギネが説明している通り、もしサロメがヘロデに「自分の父のフィリポか自分の母のヘロディア」を頼んだなら、ヘロデがそれに同意出来ません(黄金伝説121章、第1段 注11 )。
このごまかしの唯一の目的は、ヨハネ殺害の責任をヘロデに負わせることを避けるためであって、ヘロデが自分の意思に反して要求に無理に応じたと歴史の視点におおいて偽って見せることです。
だから、歴史は悲劇的にも自ら成し遂げて行くのです。
ある衛兵は出て行き、牢の中でヨハネの首をはね
に行く(マルコ、第6章・28節)。

伝説 — 続き
メムリンクは、左のシャッターの手前のシーンを拡大して、ヘロデの宮殿の中庭にいることを示しています。
メムリンクは左翼パネルの前景に《洗礼者ヨハネの斬首》の場面を位置づけて拡大することを選んだ。
私たちはヘロデの宮殿の中庭にいます。
砦の執行所が後方にある階段によって宮殿に繋がっている。

右には、最初の弟子のニ人であるアンデレと使徒ヨハネをも位置づけてやった。
死刑執行人は、ほとんど感動していないサロメが彼に差し出す大皿に頭をもたせかけながら、背後から描かれている。
美術史家たちは、死刑執行者とサロメの姿勢において、彼がブリュッセルでロヒール・ファン・デル・ウェイデンという画家のアシスタントだったころの先生の作品で見当たる似たような場面をメムリンクによるの再利用だと見っ分けている。
これはベルリン国立美術館の絵画館にある〜に描かれた《聖ヨハネの三連画》の左翼パネル内面にある(目録番号534B)。

マルコの語りは続く(マルコ、第6章・29節):
後者はヘロデ・アンティパスに支配されている領地から遠くある、ヨルダン川西岸地区でのセバステ、現代のセバスティアというエリシャとオバデヤ預言者たちのお墓の近くに持って行かれた。
中央パネルの左側では、右に、洗礼者ヨハネの後ろに、メムリンクが彼の伝説の最後の場面を表した。それは、キリスト教の信仰と戦ってヨハネが葬られたところに行われた奇跡を止めさせるために、背教者ユリアヌスが遺体を掘り起こし、焼いて、畑を散々に散らすよう命じたということだ。

彼の頭は、伝説によると、現代のシリアでのホムス、当時エメサ市の陶工屋によって別に葬られたのであろうから、それは、遠ざけた石の後ろにある壁の開口部の中に。
しかし、思い通りになりませんでした。
伝説によると、頭が別にシリアにある現代のホムスのエメサ市のある製陶屋さんに埋められたのであろう。その後、星に追いかけながら発見した聖マルケッルス 注12 に顕現されたであろう(黄金伝説、第121章、第3段)。

これで黄金伝説においての洗礼者ヨハネの伝説の語りが終ります。
福音記者ヨハネの伝説
黄金伝説と黙示録においての福音書記者ヨハネの伝説の諸場面
中央パネルの後景の上と右に福音書記者ヨハネの伝説の諸場面が表わされている。

洗礼者ヨハネと違って、歴史的視点から、キリスト教的信仰から生じたの他、なんの歴史的資料も存在しません。
それらのキリスト教からの資料と現代の専門家たちに寄りますと、福音書記者ヨハネが以下の人物を指しえます:
「使徒」ヨハネ。マルコ、ルカ、マタイの諸福音書と使徒言行録に登場する人物、
イエスの愛しておられた弟子「ヨハネの」だと言われている福音の書記者、
「パトモス島の」ヨハネ。黙示録の書記者。
「使徒」ヨハネは「ゼベダイのニ人の子の内の一人」(マルコ、第3章・16~19節、マタイ、第10章・2~5節とルカ、第6章・13~16節)。 彼の兄弟は「大」というヤコブです。
イエスが彼たちを「雷の子ら」と呼んでいる(マルコ、第3章・17節)。
兄弟と他の弟子のニ人だったシモン・ペトロとアンデレと同様に、彼はイエスに従うために自分の網を捨てるティベリアス湖の漁師の一人です。
そこから、 イエスの変容(マルコ、第9章・2節、マタイ、第17章・1節とルカ、第9章・28節)、シモン・ペトロの姑の癒し(マルコ、第1章・29節)、シナゴーグの頭だったヤイロの娘の癒し(マルコ、第5章・37節とルカ、第8章・51節)を証し、兄弟と一緒にイエスがゲッセマネの園であきらめることに誘惑される時に(マルコ、第13章・3節)いますが、彼は睡眠に落ちいる(マルコ、第14章・33節)。
イエスの愛しておられた弟子 が「ヨハネの」という福音の終わりに見えて来る(ヨハネ、第21章・20と24~25節):「ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。」
(…)
これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。
「ヨハネ」と呼称する文書での要素は一つもありませんので、 「ヨハネの福音」 との呼称が正しくなりえそうもありません。イエスの愛しておられた弟子
の福音であるはずです。とても異常な人物です。どんな読者でもが自分と同一視できる他のイエスの弟子の内の一人であって、イエス自信から愛されて、従って他の誰よりも彼に親しくなっています。彼は、以上の抜粋文書のすぐ後に、意見を述べることも迷いません(ヨハネ、第21章・25節):「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」
イエス自身が、ペトロからの質問をきっかけに、最後の晩餐中にヨハネの運命について望みがある(ヨハネ、第21章・21~23節):「ペトロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。イエスは言われた。「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。」
イエスの胸もとに寄りかかったまま
のも彼であって、また彼を誰が裏切って行くかを聞くともなっています(ヨハネ、第13章・25節)。
磔刑の時、イエスが自分のお母さまに彼に任せて、言われた(ヨハネ、第19章・26~27節):「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」、それから彼に:「見なさい。あなたの母です。」
マグダラのマリアが空いているお墓を見て、愛しておられた弟子
とペトロに言いに走る。彼がお墓に一速く着く(ヨハネ、第20章・2~8節)。
復活後にティベリアス湖でのイエスをいち早く認めるのもまた彼です。(ヨハネ、第21章・7節)。
「パトモス島の」ヨハネが黙示録の文書の始まる所に見えて来る(黙、第1章・1~9節)。その文書では彼は神がすぐにも起こるはずのことを
(…)アジア州にある七つの教会
に(…)ご自分の天使を送って
知らせた(…)僕
として紹介されている。
福音書記者ヨハネの表しが黄金伝説の第9章と第65章でのヤコブス・ダ・ヴォラギネに編纂された語り筋を全体として守っています。
黄金伝説の第9章での福音書記者ヨハネの伝説の文書を読む。黄金伝説の第65章でのラティナ門外の福音書記者ヨハネの伝説の文書を読む。ローマにあるラティナ門前にドミティアヌス大帝の命令によって熱湯に浸せられる福音書記者ヨハネ語りが中央パネルから始まります:「ヨハネは、エフェソスで伝道活動に従事していたとき、同地の総督に捕えられ、いつわりの神々に供物をささげようと命じられた。が、命令にしたがおうとしなかったので、獄に投じられた。総督は、皇帝ドミティアヌスに報告書を送り、そのなかで、ヨハネのことを神殿の冒漬者神々の侮蔑者、十字架にかけられた男に仕えるやからのひとりであると決めつけた。ドミティアヌスは、ヨハネをローマにつれてくるようにと命じた。さて、ヨハネがローマに到着すると、笑いものにするために頭を丸坊主に剃りあげたうえ、ラティナ門とよばれる市門の外に引きだし、油がいっぱい煮えたぎっている釜に入れ、さらに下から火をどんどん焚きつけた。」中央パネルの詳細、《ローマにあるラティナ門前にドミティアヌス大帝の命令によっての熱湯に浸せられる福音書記者ヨハネとパトモス島への流しへの出発》「ところが、ヨハネは、文字どおり平気の平左で、火傷ひとつしないで釜から出てきた。ドミティアヌスはこれを見て、恐縮して、彼を死なせるのを恐れた。キリスト教徒たちは、その後この場所に教会を建て、この日をヨハネの殉教記念日のように祝うのである」。メムリンクの表しが左での地平線にこの教会と右では、ローマのコロッセオとラティナ門を見せてくれている(黄金伝説、第9章)。「ドミティアヌス大帝は、こんな拷問ぐらいでキリストの福音を宣べることをやめるような男ではないと見てとり、聖ヨハネをパトモス島へ流刑に処した」パトモス島への出発が真ん中に表わされていて、いくつかの人物がある船に乗ろうとしているところに。「彼は、その島にまったくひとりで住み、ここで『ヨハネの黙示録』を書いた。」右翼パネル全景:パトモス島でヨハネは黙示録において証言する右翼パネルが完全にヨハネがパトモス島で啓示された幻影に捧げられている 注13 。メムリンクの表わしは特に注目に価するものです。黙示録の表しとして、数多くの絵画は絵画の連続として存在するならば、逆に表示の空間の統一を挑戦するのが稀にしか存在しません。当然なことに:パトモスのヨハネの語りは注目に値する複合さを提示しているからです。それでも、メムリンクは表示の空間を語りより信ずるに足る、超越的な複合さにさせる離れ業を成功します。右翼パネル内面の詳細、《パトモス島での福音書記者ヨハネ》わたしは、たちまち“霊”に満たされた。すると、見よ、天に玉座が設けられていて
(…)玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった」、黙示録、第4章から第12章までの抜粋文書メムリンクが使徒を、円形の岩、エーゲ海の真ん中にあるパトモス島に座している姿で表している。彼は手に羽根ペンと小型ナイフを掴んでいて、彼の膝に帳面が見られる。ヨハネがまだ何もまだ書いていないで、生き生きしている古代ギリシャ語で「ベールを取る」を意味する「黙示」を捕らえられているままに表わされている。これらの幻影がかれの上、空で、水ととても近くにある陸の上、またそれ以外、翼パネルのすべてで表されている。私たちはヨハネご自身がベールはずしを語る文書での翼パネルの左上に始まる順に従うのを選択しています。そうすると、メムリンクが作り出す表しが文書と直接対象される。右翼パネル内面のパトモス島でのヨハネの表わしに関連した黙示録から抜粋した文書を読む.神の王座、天と子羊の宮廷の幻影 = 黙示録、第4章2節~第6章1節わたしは、たちまち「霊」に満たされた。
すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。その方は、碧玉や赤めのうのようであり、
玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。
これは神の七つの霊である。また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。右翼パネル内面の詳細、
《神の王座、天と子羊の宮廷の幻影》玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた
(…)四つの生き物
(…)表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた
巻物
(…)長老たち
、
黙示録、第4章2~8節、第5章1節、6~7節第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。
彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」第5章「またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。」「わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。」小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。
伝説 — 続き
語りが虹とヨハネの間に続く。

乗っている者は、弓を持っていた。彼は冠を与えられ、勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った、黙示録、第4章・2節

その馬に乗っている者には、地上から平和を奪い取って、殺し合いをさせる力が与えられた。また、この者には大きな剣が与えられた、黙示録、第4章・4節

乗っている者は、手に秤を持っていた、黙示録、第6章・5節

乗っている者の名は「死」といい、これに陰府が従っていた。、黙示録、第4章・5節

山も島も、みなその場所から移された黙示録、第6章14~17節
伝説 — 続き

神の御前に立っているのを見た。彼らには七つのラッパが与えられた、黙示録、第8章1~2節

金の香炉を持つ《祭壇の天使》、黙示録、第8章3~5節

船という船の三分の一が壊された、黙示録、第8章6~9節

松明のように燃えている大きな星が、天から落ちて(…)「水の三分の一が苦よもぎのように苦くなって、そのために多くの人が死んだ」、黙示録、第8章10~12節

空高く、黙示録、第8章13節
伝説 — 続き

力が与えられた、黙示録、第10章3節

わたしはまた、もう一人の力強い天使が、雲を身にまとい、天から降って来るのを見た。頭には虹をいただき、顔は太陽のようで、足は火の柱のようであり、手には開いた小さな巻物を持っていた。そして、右足で海を、左足で地を踏まえて、黙示録、第10章1~3節

七つの雷が聞こえて来た」、黙示録、第12章3~6節

竜は子を産もうとしている女の前に立ちはだかり、産んだら、その子を食べてしまおうとしていた、黙示録、第12章1~4節

全人類を惑わす者は、投げ落とされた。地上に投げ落とされたのである。その使いたちも、もろともに投げ落とされた、黙示録、第12章5~9節
伝説 — 続き

荒れ野にある自分の場所へ飛んで行くためである、黙示録、第12章10~14節
メムリンクから考えられた語りの視点から、黙示録の幻影はここで終わりになります。
パトモス島の後、中央のパネルに、福音書記者ヨハネの生涯が、黄金伝説の第9章で語られる福音書記者ヨハネの伝説によって続いています。 右側の最左の柱頭:ドゥルシアネの復活 = 黄金伝説、第9章黄金伝説によると、ヨハネがその後エフェソス市に戻って、メムリンクがある柱頭に表わしているとおり、ドゥルシアネを復活させる。右翼パネル内面の詳細、右側の最左の柱頭、《ドゥルシアネの復活》、黄金伝説、第9章右翼パネル内面:哲学者クラトンに洗礼 = 黄金伝説、第9章彼は真後ろにあるクーポラ付き小建物の中に哲学者クラトンに洗礼を授ける。中央パネル内面の詳細、《クラトンの洗礼》、黄金伝説、第9章右側の最右の柱頭:毒の杯の奇跡 = 黄金伝説、第9章なんの害も起こらないで、毒の杯を飲みます。中央パネルの詳細、右側の最右の柱頭、《毒の杯の奇跡》、黄金伝説、第9章
寄贈者の紹介:閉じた三連祭壇画
寄贈者たちの紹介、閉翼時の三連画

翼パネルの裏側は、跪いている寄贈者たちと彼らを見守っている守護聖人の肖像で飾られている。
彼らは奥行きのあんまり深くない壁龕で表されている。
各の人物の身分が確認された。
左翼パネルでは、左から:
立ったままでいる人は、聖アグネスである。下と左側での子羊から認識されている。
前方でひざまずいているアグネス・カゼムブロードである。
左翼パネルの右側に:
つり香炉を運ぶ聖クレアは、
クレア・ヴァン・ヒュルせン修道女を守っている。
右翼パネル、左から:
立っているままでいる人は、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼者の服を着た聖ヤコブと、
ヤコブ・ド・クーニンクである。
右翼パネルの右に:
司教杖と子豚で見分ける聖大アントニオは、
ひざまずいているままでいるひとは、施療院長である、アントワーヌ・セガーズの守護聖人である。
その三連画は恐らく、アントワーヌ・セガースが死んだ年以来、以前に注文された。
には祭壇の上に置かれた。