黄金伝説と黙示録においての福音書記者ヨハネの伝説の諸場面
黄金伝説と黙示録においての福音書記者ヨハネについての注意すべき事項
中央パネルの後景の上と右に福音書記者ヨハネの伝説の諸場面が表わされている。
福音書記者ヨハネの伝説と黙示録においての詳細
洗礼者ヨハネと違って、歴史的視点から、キリスト教的信仰から生じたの他、なんの歴史的資料も存在しません。
それらのキリスト教からの資料と現代の専門家たちに寄りますと、福音書記者ヨハネが以下の人物を指しえます:
- 「使徒」ヨハネ。マルコ、ルカ、マタイの諸福音書と使徒言行録に登場する人物、
- イエスの愛しておられた弟子「ヨハネの」だと言われている福音の書記者、
- 「パトモス島の」ヨハネ。黙示録の書記者。
「使徒」ヨハネ
- 「使徒」ヨハネは「ゼベダイのニ人の子の内の一人」(マルコ、第3章・16~19節、マタイ、第10章・2~5節とルカ、第6章・13~16節)。 彼の兄弟は「大」というヤコブです。
- イエスが彼たちを「雷の子ら」と呼んでいる(マルコ、第3章・17節)。
- 兄弟と他の弟子のニ人だったシモン・ペトロとアンデレと同様に、彼はイエスに従うために自分の網を捨てるティベリアス湖の漁師の一人です。
- そこから、
- イエスの変容(マルコ、第9章・2節、マタイ、第17章・1節とルカ、第9章・28節)、
- シモン・ペトロの姑の癒し (マルコ、第1章・29節)、
- シナゴーグの頭だったヤイロの娘の癒し(マルコ、第5章・37節とルカ、第8章・51節)を証し、兄弟と一緒にイエスがゲッセマネの園であきらめることに誘惑される時に(マルコ、第13章・3節)いますが、彼は睡眠に落ちいる(マルコ、第14章・33節)。
イエスの愛しておられた弟子
-
イエスの愛しておられた弟子 が「ヨハネの」という福音の終わりに見えて来る(ヨハネ、第21章・20と24~25節):
「ペトロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。」
これらのことについて証しをし、それを書いたのは、この弟子である。
「ヨハネ」と呼称する文書での要素は一つもありませんので、 「ヨハネの福音」 との呼称が正しくなりえそうもありません。
イエスの愛しておられた弟子
の福音であるはずです。とても異常な人物です。どんな読者でもが自分と同一視できる他のイエスの弟子の内の一人であって、イエス自信から愛されて、従って他の誰よりも彼に親しくなっています。
彼は、以上の抜粋文書のすぐ後に、意見を述べることも迷いません(ヨハネ、第21章・25節):
「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」
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イエス自身が、ペトロからの質問をきっかけに、最後の晩餐中にヨハネの運命について望みがある(ヨハネ、第21章・21~23節):
「ペトロは彼を見て、
「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。
イエスは言われた。
「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。」
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イエスの胸もとに寄りかかったまま
のも彼であって、また彼を誰が裏切って行くかを聞くともなっています(ヨハネ、第13章・25節)。 -
磔刑の時、イエスが自分のお母さまに彼に任せて、言われた(ヨハネ、第19章・26~27節):
「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です」、
それから彼に:
「見なさい。あなたの母です。」
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マグダラのマリアが空いているお墓を見て、
愛しておられた弟子
とペトロに言いに走る。彼がお墓に一速く着く(ヨハネ、第20章・2~8節)。 -
復活後にティベリアス湖でのイエスをいち早く認めるのもまた彼です。(ヨハネ、第21章・7節)。
「パトモス島の」ヨハネ
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「パトモス島の」ヨハネが黙示録の文書の始まる所に見えて来る(黙、第1章・1~9節)。
その文書では彼は神が
すぐにも起こるはずのことを
(…)アジア州にある七つの教会
に(…)ご自分の天使を送って
知らせた(…)僕
として紹介されている。
黄金伝説においての福音書記者ヨハネ
福音書記者ヨハネの表しが黄金伝説の第9章と第65章でのヤコブス・ダ・ヴォラギネに編纂された語り筋を全体として守っています。
ローマにあるラティナ門前にドミティアヌス大帝の命令によって熱湯に浸せられる福音書記者ヨハネ
語りが中央パネルから始まります:
「ヨハネは、エフェソスで伝道活動に従事していたとき、同地の総督に捕えられ、いつわりの神々に供物をささげようと命じられた。
が、命令にしたがおうとしなかったので、獄に投じられた。総督は、皇帝ドミティアヌスに報告書を送り、そのなかで、ヨハネのことを神殿の冒漬者神々の侮蔑者、十字架にかけられた男に仕えるやからのひとりであると決めつけた。
ドミティアヌスは、ヨハネをローマにつれてくるようにと命じた。さて、ヨハネがローマに到着すると、笑いものにするために頭を丸坊主に剃りあげたうえ、ラティナ門とよばれる市門の外に引きだし、油がいっぱい煮えたぎっている釜に入れ、さらに下から火をどんどん焚きつけた。」
「ところが、ヨハネは、文字どおり平気の平左で、火傷ひとつしないで釜から出てきた。
ドミティアヌスはこれを見て、恐縮して、彼を死なせるのを恐れた。
キリスト教徒たちは、その後この場所に教会を建て、この日をヨハネの殉教記念日のように祝うのである」。
メムリンクの表しが左での地平線にこの教会と右では、ローマのコロッセオとラティナ門を見せてくれている(黄金伝説、第9章)。
「ドミティアヌス大帝は、こんな拷問ぐらいでキリストの福音を宣べることをやめるような男ではないと見てとり、聖ヨハネをパトモス島へ流刑に処した」
パトモス島への出発が真ん中に表わされていて、いくつかの人物がある船に乗ろうとしているところに。
「彼は、その島にまったくひとりで住み、ここで『ヨハネの黙示録』を書いた。」
右翼パネル全景:パトモス島でヨハネは黙示録において証言する
右翼パネルが完全にヨハネがパトモス島で啓示された幻影に捧げられている 注13 。
メムリンクの表わしは特に注目に価するものです。黙示録の表しとして、数多くの絵画は絵画の連続として存在するならば、逆に表示の空間の統一を挑戦するのが稀にしか存在しません。
当然なことに:パトモスのヨハネの語りは注目に値する複合さを提示しているからです。
それでも、メムリンクは表示の空間を語りより信ずるに足る、超越的な複合さにさせる離れ業を成功します。
メムリンクが使徒を、円形の岩、エーゲ海の真ん中にあるパトモス島に座している姿で表している。
彼は手に羽根ペンと小型ナイフを掴んでいて、彼の膝に帳面が見られる。
ヨハネがまだ何もまだ書いていないで、生き生きしている古代ギリシャ語で「ベールを取る」を意味する「黙示」を捕らえられているままに表わされている。これらの幻影がかれの上、空で、水ととても近くにある陸の上、またそれ以外、翼パネルのすべてで表されている。
私たちはヨハネご自身がベールはずしを語る文書での翼パネルの左上に始まる順に従うのを選択しています。
そうすると、メムリンクが作り出す表しが文書と直接対象される。
右翼パネル内面のパトモス島でのヨハネの表わしに関連した黙示録から抜粋した文書を読む.
神の王座、天と子羊の宮廷の幻影 = 黙示録、第4章2節~第6章1節
第4章
- わたしは、たちまち「霊」に満たされた。 すると、見よ、天に玉座が設けられていて、その玉座の上に座っている方がおられた。
- その方は、碧玉や赤めのうのようであり、 玉座の周りにはエメラルドのような虹が輝いていた。
- また、玉座の周りに二十四の座があって、それらの座の上には白い衣を着て、頭に金の冠をかぶった二十四人の長老が座っていた。
- 玉座からは、稲妻、さまざまな音、雷が起こった。また、玉座の前には、七つのともし火が燃えていた。 これは神の七つの霊である。
- また、玉座の前は、水晶に似たガラスの海のようであった。
- 第一の生き物は獅子のようであり、第二の生き物は若い雄牛のようで、第三の生き物は人間のような顔を持ち、第四の生き物は空を飛ぶ鷲のようであった。
この四つの生き物には、それぞれ六つの翼があり、その周りにも内側にも、一面に目があった。 彼らは、昼も夜も絶え間なく言い続けた。
「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、全能者である神、主、かつておられ、今おられ、やがて来られる方。」
第5章
- 「またわたしは、玉座に座っておられる方の右の手に巻物があるのを見た。表にも裏にも字が書いてあり、七つの封印で封じられていた。」
- 「わたしはまた、玉座と四つの生き物の間、長老たちの間に、屠られたような小羊が立っているのを見た。小羊には七つの角と七つの目があった。この七つの目は、全地に遣わされている神の七つの霊である。」
- 小羊は進み出て、玉座に座っておられる方の右の手から、巻物を受け取った。