アレクサンドリアのカタリナ
中央パネルでのアレクサンドリアのカタリナ
殉教の道具である剣と壊れた車輪があるので彼女は、アレクサンドリアのカタリナです。
アレクサンドリアのカタリナ、その歴史的事実
アレクサンドリアのカタリナは十三世紀末期からとても人気のある聖人でありました。
彼女の伝説はヤコブス・デ・ウォラギネが『聖カタリナ』という『黄金伝説』の168章に記述さられていて、とても面白いです。
黄金伝説によるアレクサンドリアのカタリナの伝説の文書をを読む。
メムリンクがこの文書に基づいて描いたことは非常に確実らしいです。
現代の歴史家たちはアレクサンドリアのカタリナが確実に存在したか 注2 疑っています。
カトリック教会もそれを認めている。その崇拝がに一般ローマ暦から取り除かれた。
アレクサンドリアのカタリナ、その十五世紀での伝説
伝説において、並外れた教育ととても素晴らしい美しさを持った、の上流階級貴族の一人とされています。
カタリナはアレクサンドリアに三世紀又は四世紀に生きたであろう。
彼女はキリスト教徒たちを強要して公に信仰を棄教させる当時のローマ帝国大帝マクセンティウスに挑戦させます。
マクセンティウスがこの優秀な女の人に面することに驚きます。彼女は勝れている会話によって彼を侮辱させ、悔しくさせています。
彼は、自分の尊厳を維持することに苦労して、たくさんの新たな展開のある長い精神的な対立を経て破られ、結婚することを彼女に勧めます。
カタリナは、信仰の名によって拒否し、殉教する方を選びます。
処刑の際では、天からイエス自身の声が聞こえてきたのであろう、彼女にいうために:
「親愛なる人よ、私の美女、来てください!」
中央パネルでの聖母と幼子イエスのそばでの聖カタリナの存在から、この三連画は時には《聖カタリナの神秘的結婚》とも称されたことがあります。
二人のヨハネ
二人の双子:洗礼者ヨハネ、福音書記者ヨハネ
二人とも「ヨハネ」と呼ばれているのも出資施設である「ブルージュの聖ヨハネ施療院」に由来しており、「洗礼者ヨハネと福音書記者ヨハネの三連画」である現代の公の呼称をも。
- 彼たちの伝説が数多くのいくつかの場面で三連画の内側の範囲全面(中央パネル、右翼と左翼パネル)に語られていることから、
- 二人とも「ヨハネ」と呼ばれていて、それで密かにブルジュの聖ヨハネ施療院である注文施設を作品に具体化しながら、現在の公け呼称、《洗礼者ヨハネと福音書記者ヨハネの三連画》をも裏付けていることから。
彼たちは双子のように聖母の右と左の両方の奥の方に立っています。
洗礼者ヨハネ
奥の方では、左に、白い色の子羊の存在が、素晴らしい紫色のチュニックを着る男の人を洗礼者ヨハネとして見分けることを可能にしてくれています。
羊は彼が弟子たちにかけた現世でのイエスの到来を告げる言葉を思い出させてくれる(ヨハネ、第1章29節) 注4 :
「見よ、神の子羊だ」
そして、ヨハネが右腕で幼子イエスを指し示しています。
ここでは、子羊が新しい、キリスト教の独特なシンボルです。
旧ヘブライ信仰では神を喜ばすには動物の生け贄をささげなければならなかったこととは逆に、キリスト教は神に気の入る唯一の本当の生け贄が信者がイエスを模範にしてイザヤ預言者のこの言葉に基づきながら、自分から神に自分自身を生け贄とささげるのであることを断言しています(イザヤ、53・7):
「屠り場に引かれる小羊のように毛を刈る者の前に物を言わない羊のように彼は口を開かなかった。」
その紫色のチュニックの下に、もう一つのチュニック、薄い栗色のが、文書(マルコ、1・6)がエリア預言者の毛皮衣を真似て(王2、第1章8節)、ラクダの毛であることは明らかです。
この同じ毛皮衣がまたヤコブが、母リベカの指示で、とても毛深いの兄エサウに、眼の見えない父であるイサクを毛皮の衣を着ながら思わせるようにした創世記の一つの話し(創世記、第27章1~40節)にも基づきます。
彼の術策が不正に祝福されるとそれでエサウ代わりに唯一の相続人となることを可能にします。
このチュニックがまた動物を制御の印となっていて、洗礼者ヨハネの場合、ラクダが砂漠を横断することは、修行により動物を制御することで可能になるという意味になります。
福音書記者ヨハネ
他方、右では、もう一人が立っていて、神父のように赤い色の服を着ている男の人が右手から十字架の描き、中に蛇のいる杯を上にしています。これは福音書記者ヨハネである。
私たちは福音書記者ヨハネであることが黄金伝説の第9章の巻から明らかにしています。
そこでヨハネは毒の入った盃を飲むことで、公に挑むアジア(おそらくエフェソス)にあるディアナ社大祭官のアリストデムスと対立します。
彼は、メムリンクが表している通り、十字の印を描いて、盃を飲みますが毒が彼に何の悪をさせません。
蛇が同時にイエスがニコデモを思い起こすこともしている。(ヨハネ第3章14節):
「モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。」
「ヨハネ」の名、その語源
ヘブライ語での「ヨハネ」の名の語源
「ヨハネ」という名前の語源がヘブライ語の「ヨハナン」から来ています。発音は:
文字通りに「神」が「恵」か「慈悲」。
同時にヘブライ語では、「神」は「存在しているもの」という意味をも持っているから、「恵」か「慈悲」が「宿るもの」という意味になります。
この名前がヘブライの民の歴史のあまり知られていない他の人物の名前として知られているとしても、とても人気となったのはキリスト教が芽生えた後、キリスト教界での二人が果したとても大切な役割からです。これらの役割をこれから細かく語ります。
大殉教者バルバラ
中央パネルの場面での大殉教者バルバラ
聖母の右手前方には、十五世紀ではブルージュにしか制作されていなかった緑色の羊毛の素晴らしいチュニックを着るもう一人の女の人が本を読んでいます。
彼女の存在が、反対側に、前にあるアレクサンドリアのカタリナのを対象しています。
彼女の後ろにある白い色の石での聖櫃塔が、彼女は大殉教者バルバラであることが示されています 注5 。
大殉教者バルバラ、その歴史的存在
アレクサンドリアのカタリナと同じように、現代の歴史家たちが実在したことを疑うと、彼女の名前もカトリック教会の一般ローマ暦から取り除かれました。メムリンクが彼女を描くために基にした文書も元々黄金伝説に含まれていませんが、他の文書と同様に、後で追加されることなりました。
大殉教者バルバラ、十五世紀での伝説
その伝説によりますと、バルバラは旧ビテュニアの首都二コメディア 注6 に住んでいました。 欠点としてバルバラは美しいこと。。、こんなに美しいことから、とても若いころに、彼女のお父さんが彼女を塔に閉じ込めさせましたの!
文書だとバルバラがそこから地上的現世の拙さ
を感じて、天上的妙なるものごと
に気にし始めるとなっています。
当時には禁じられているのに、彼女が少しづつローマの神々から離れて、密かにアレクサンドリアの一有名のキリスト教徒オリゲネスに手紙を書きます。
彼は彼女に返答し、芽生えている信仰を強めて、彼女を訪れて、こっそりと洗礼を授けます。
その後、神々を信じることを公に拒否したことにより、密告されたことで、彼女は殉教します。 その時、イエスの声が天から聞こえて来たのであろう:
「親愛なる人よ、天にある私の父の家に休みたまえ。」
自分の父が頭を刎ねたのです。
大殉教者バルバラの塔を透けての一個の聖体
塔の組み合わせ隙間を通して、ガラス製の円柱が見えています。その中に薄く一個の聖体があります。
聖体は聖人としての表像の一つでもある。パネルの他の部分との「聖なる会話」という形を示している繋がりの一つでもある。