聖母マリアと幼子イエスの周囲の聖なる会話
中央パネルの場面での聖なる会話
マリアの戴冠式には、カタリナとバルバラ、洗礼者ヨハネと福音書記者ヨハネのいわゆる「聖なる会話」 注7 聖母の周りの聖人の集会にニ人ずつ参加しています。
中央パネルの場面でのニ人の侍者たち
この交わりの趣は以下の存在によってさらに強くなっている。
- 聖母の左手の小さなオルガンを弾く座った侍者と、
- 左手の彼女に本を差し出す跪いたもう一人
聖なる会話L、「新しき信心」注目に値する表現
左右対称、単純さ、中心人物の配置の識別
左右対称、単純さ
幅での位置関係の左右対称と単純さが三連画の形とよく合います。
識別
高さと奥行きが男女の識別により配置されています:
- 前と下の方では、女の人ニ人で、
- 後ろと上の方では、男の人ニ人です。
奥行きと高さでの計り知れなさと神秘に、横での位置の左右対称と単純さが対応しています。
顔立ちの類似性、表わされている年齢の多様性
表わされている人物は同じ家族に属しているようと、あらゆる年齢であることに見えます:
- 生まれたばかりの赤ちゃん、
- 小さな子供、
- 子供、
- 少年、
- 若い男の人、
- 女の人、
- お母さま、
- 男の人、
- 年のある男と女の人。
この顔立ちの類似性と年齢の多様性が場面全体を統一させています。
新しき信心、十五世紀のフランドル社会のキリスト的改革運動
顔立ちの類似性と年齢の多様性が全体を統一させています。
私たちはこの均衡がメムリンクが生きた社会の注目すべき特性であると当時の、歴史家たちが「新しき信心」と呼ぶキリスト教信仰のとても大事な改革運動をよりよく把握するために無視することはできないと考えています。
新しき信心、普遍的、単純な、純粋な、透明な改心
フランドルで、メムリンクの時代では、あるキリスト教信仰修練書は、「キリストに倣いて」、大変なベストセラーであって、「新しき信心」が何であったかを表わすことを我々に今日可能にしてくれています。
キリストに倣いてから抜粋された文書
これはその抜粋文書です:
- 人はこの世の事柄から自分を引き上げているのは、単純さと清さという二つの羽によってです。
- 単純さは人の意図に、清さは人に対する情にあるべきです。
- 単純さは神を求め、清さがそれを見出して味わうのです。
- どんな良い行為でもあなたたちには成し難くなりません。内面ではあらゆる乱された感情から自由があったらば、
- あなたたちが神が望むことと、隣人に役立つことのみを求めるなら、あなたたちは内面の自由を楽しむことでしょう。
- 従って、あなたたちの心が正しいのであれば、どんな被造物でもあなたたちにとっての命の鏡と聖なる教えの満ちた書物となるでしょう。
- こんなに小さくて、こんなに卑劣な、神の善良さの現象を少しでも現さないほどの被造物は存在しないからです。
- もしあなたたちが内面に十分な清純さと純粋さを持っていれば、あなたたちは全てをさえぎるものなしに見ることが出来るでしょう。
- 清い心は天国と地獄にまで入り込む。
- 人は外にあるものごとを自分自身の内側での存在において判断するのです。
- もしこの世に喜びが存在するなら、それを持つのは心の清いの持ち主にある。
- 従って、どこかに苦悩や苦痛があるのなら、気がとがめるそのことに知られているのです。
- 火のなかに投げ込まれた鉄がその錆を失ってとても白く輝くように、こうして 遠慮せず自分を神に捧げる人は、悩ましげをはぎとられ新しい人へと変えられます。
メムリンクが表わして場面では、聖なる会話自体が以上の文書の言葉によると単純な、純粋な、建築的装置と調和している聖なる教えの満ちた書物
として働いている。
建築的装置
新しき信心、表わされている中心人物と観賞者との関係方法
表わされている場所、教会の後陣の配置が三連画の鑑賞者たちに対しても働くことを可能にしてくれています。
絵画を観賞している私たちも事実上、絵画の空間に含まれていることになっていて、それで、聖なる会話の一部として、表わされている中心人物たちに直面しながら、この単純的な、透明意的な、親校的な他者性な関係で。
この視点から、メムリンクの作品が「命の鏡」として:
- 片方では、病人たちが表わされている人物と「会話」していて、
- もう一つの方では、のブルージュ市民として、あるいは二十一世紀のメムリンク美術館の来館者たちが今ここに「現れる」。
新しき信心、十五世紀でのブルジュの驚異の水晶化
ついに、霊的単純さと明白さが驚異的に絶え間なく物質的な精巧さと豪奢さを作り出している。
ディルク・ド・ヴォスが言及すると:
「黄金の錦、絹とアーミンを着ている処女たち、金箔の冠と珍しい宝石各種の世界」、そこに、「深い落ち着きの沁みった雰囲気」で「幼子イエスが病人たちに合図をする。」
観賞者たちに対して、実際、単純さと明白さが制限を知らないで、神聖性へと導くのです。
建築的装置に、ファン・エイクの影響
メムリンクが自分を導かさせているのは異論の余地のなく彼が聖ドナティウス大聖堂に行って魅了されたことが知られている、に描かれたヤン・ファン・エイク筆の「ファン・デル・パーレの聖母子」です。
ファン・エイクに比べて建築的装置に対してのメムリンクの革新
他の数の多くの作品と同じように、メムリンクが背景から壁、窓を取り除いて外への視覚を連続的にさせている。
赤と茶色を混ぜた六本の円柱がタイル上の半円に配置され、その外側でニつ目の暗いグレー色の付け柱がニ重の半円形に並んでいる。 その底面が地面に多角形を示す舗装の境界線で結ばれている。
円柱の間の縦々の隙間は、視覚的に連続的な跡蹟と建物のある、無限な、地平線ともなっている遠景に開放である景色と繋がっている。