洗礼者ヨハネと福音書記者ヨハネの諸伝説

私たちはここでメムリンクが迷いなく基づいたニつの語りに従って進んで行きます。それは黄金伝説でヤコブス・デ・ウォラギネが報じる通りの各々伝説です。
メムリンクが描いた場面はこれらの文書を正確に表わしているので、より深く各々の文書と三連画の繋がりを実感したい方々に直接文書を読むことをお薦めします:
黄金伝説において洗礼者ヨハネの伝説の諸場面
私たちは年代順で福音書記者ヨハネより先とされている洗礼者ヨハネから始まっている。
中央パネルの上部と奥景の左と左翼の内側パネルに彼の生拝と殉教を表すいくつかの場面が表わされている。

歴史資料においての洗礼者ヨハネ
歴史的な面では、1世紀にユダヤ信仰のローマ史家であるフラウィウス・ヨセフスの証言(「ユダヤ古代誌」、第18書、第5章、118段)によれば、ヨハネはガリラヤでのナザレのイエスの時代のユダヤ教伝道師として表わされている。
当時のガリラヤは多くの反乱で知られているローマ帝国の属州である。
その人口が、多数的にユダヤ教であって、とても信心深いです。 聖書のそれぞれの書物が神のお使いの到来を予告していて、その活動によってユダヤの民が自分の独立、その宗教的組織、特にエルサレムでのソロモン神殿の再建を可能にすることを回復してくれる。
キリスト的信仰の諸文書においての洗礼者ヨハネ
キリスト教の教義の面では、 ヨハネは、ルカの福音(第1章、5~25節)によると、エルサレムへ行くために偶然選ばれて、神殿で祈りをささげたころ、神自身が大天使ガブリエルによってヨハネの誕生を告げるガリラヤの田舎のユダヤ教の年とった司祭ザカリアの息子である。
最左の柱頭に大天使ガブリエルがザカリアに顕現される場面
その通り、メリングが彼を最左の柱頭に表わしている。

文書がザカリアがそれで言葉を失うことを示している。
最左から二番目の柱頭に洗礼者ヨハネの誕生の場面
その誕生がその右に位置付けられている柱頭に表わされている。

ザカリアによって「ヨハネ」の名の選択の場面
この息子の名前、「ヨハネ」も語り筋の争点の一つとなる (ルカ第1章、59~63節):
「八日目に、その子に割礼を施すために来た人々は、父の名を取ってザカリアと名付けようとした。ところが、母は、
「いいえ、名はヨハネとしなければなりません」と言った。
しかし人々は、
「あなたの親類には、そういう名の付いた人はだれもいない」と言い、
父親に、
「この子に何と名を付けたいか」と手振りで尋ねた。
ザカリアは字を書く板を出させて、
「この子の名はヨハネ」と書いた」。
信仰の観点から、洗礼者ヨハネは神の意志によって世にゆえにやって来る。