中央パネルの遠景での洗礼者の修徳の場面
その後、彼は砂漠で修行者の模範的な生活を送っている(ルカ第1章、80節)。
メムリンクがこの場面を森に移動させている。
中央パネルの遠景での洗礼者の伝導活躍の場面
罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝える
ことも見られる(ルカ第3章、3節)。
ヨハネは当時のユダヤ教では新風を吹きこんでいる。 彼は特に火葬によって神殿で動物を犠牲にしてではなく、しかも「洗礼」によって、いわゆるこの言葉の語源どおりだと水の中に「没入」することで罪の赦しを得ることを勧めるように仕向ける。
左翼パネルの遠景でのヨルダン川のほとりでイエスを洗礼する洗礼者ヨハネ
聖書のそれぞれの書物に従って、彼は神の遣わされたお使いの到来を同時代人の一人であるナザレのイエス本人に預言する。
彼はその到来をヨルダン川の水での洗礼で承認する。この場面が左翼パネルの内面の上部に表わされている。
向こうの岸に、洗礼者ヨハネが自分の最初の弟子のニ人であるアンデレと使徒ヨハネも彼に加わるよう、見よ、神の小羊だ
という言葉でイエスに紹介している。彼たちは彼と合流する。
中央パネルの遠景での洗礼者ヨハネの逮捕の場面
そこから、彼の運命が悲劇的になる。
ガリラヤとペレアの四分封領主であるヘロデ・アンティパスが自分の兄弟フィリポの妻
(ヘロディア)と結婚する(マルコ、第6章・17節)。
ユダヤ教の信仰はどんな兄の妻との結婚とも「汚れ」と見なしていて、ゆえに形式的にそれを禁じている(レビ記、第18章・16節、第20章・21節)から、ヨハネはそれを糾弾する。
ヘロデは[ヨハネの]説得させる能力が反乱
を誘発することを恐れられていた(ユダヤ古代誌、第18書、第5章、118段)。
「群衆はこの人の忠告に完全に従いそうであったから。だからヘロデは、彼のせいで何かトラブルが起こる前に、彼を捕まえる方を後に騒動が起きた場合に悔むより好んだわけだ。ヘロデの嫌疑のせいで、ヨハネはマシャエロに送られ、
(…)
そこで殺された。」
実際、ヨハネの信奉者たちによってトラブルが起こされた場合、ヘロデが自分を取り上げることのできるローマ当局に事情について責任を取らなければならなかったのだった。
彼は「洗礼者ヨハネを逮捕する命令」を出す(マルコ、第6章・17節)。
中央パネルでは、メムリンクがこの場面を白羊の上に、ヨハネが強制的に古代ギリシャの語源は「剣」という意味と、現代のヨルダン国に位置付けられているの現代マシェロント 注10 の牢へ向かって左の翼パネルへ連れて行かれている。